法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

裸の王様

(1)裸の王様

童話『裸の王様』のタイトルを聞いただけで、あの印象的な場面が頭に浮かんでくる方は多いのではないかと思います。

王様は二人組の仕立て屋にすっかり騙されていたので、家臣も庶民も忖度するしかありませんでした。忖度を知らない子どもだけが、見たままを叫ぶことができました。

イエスマンに囲まれた権力者を揶揄する、世界的に有名な寓話です。


(2)国民主権

さて、国民主権日本国憲法の三大原則のひとつと言われているそうです。

したがって、仮に日本に二人組の仕立て屋がやってくるとしたら、狙われるのは国民一人一人です。二人組の仕立て屋は、まことしやかなストーリーを語って、国民一人一人の関心を引こうとすることと思います。

作戦としては、おそらく最初は有力者の関心を引こうとすると思います。まことしやかなストーリーに、見事な実弾が添えられるかもしれません。やがてマスコミを通して、あるいは行政機関の広報を通して、そのストーリーが巧みに語られるようになるのではないかと思います。親しみやすくするために、好感度の高い有名人が広告塔として活躍するかもしれません。広告代理店が優秀であれば、国民の大多数が賛成するのは時間の問題ではないかと思います。

そこまで進むと、仮に無垢な子どもが「王様は裸だ!」と叫んでも、叱り飛ばされるだけではないかと思います。そして人々は口々に衣装を褒めそやすことと思います。。


(3)時代を超えて

子供の頃は、童話『裸の王様』は遠い昔の遠い国の物語だと思ってました。

しかし実際には、王様は私たち国民一人一人のことで、これまでずっと二人組の仕立て屋に騙され続けていたのかもしれません。。そして、正直な子どもたちを叱り飛ばしたり、無視したりし続けていたのかもしれません…

そんな風に考えると、童話『裸の王様』は現代社会に生きる私たち一人一人を戒める寓話なのかもしれません。時代を超えて地域を超えて、広く深く読まれるべき物語なのかもしれません。

いまという時代に、改めて読んでみませんか。