法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

つながる

私は作文を含めてちょっと複雑なことをしようと思ったら、顕在意識の脳力だけではまったく足りないので、潜在意識のどこかに隠れている脳力に頼らないといけません。ところが、潜在意識の希望する部分にすぐにつながることもあれば、なかなかつながらないこともあります。若干不便ではあります。

思い出してみると、そのような傾向は発症前からあったように思います。

発症前は今よりは顕在意識の脳力が高かったとはいえ、そんなに脳力が高かった方ではありませんでした。そのため、多くの人が脳力を高速でぶん回して考えるところでも、手持ちの脳力の範囲であれこれ工夫しながら考えてました。学年が進んで教科の内容が複雑になるにつれ、さらに工夫していきました。顕在意識の脳力が随分と低くなったいま、その経験が生きているのかもしれません。

そんな中でいつの間にか身につけていたのが、高度な頭脳作業をするときには、潜在意識のどこかにつながることだったように思います。小学校5〜6年の頃から非言語思考に移行していたので、そういう方向に進みやすかったのかもしれません。(潜在意識との交信は非言語です)

そのため10代の頃から、思考するときは1人だけで行ってました。誰かと会話しながら思考することはまったくできませんでした。脳波で言えば、会話するときはベータ波になるのでしょうか。しかし私は思考するためにはアルファ波かどこかまで脳波を下げる必要があったのではないかと思います。

そのような思考方法を取っていたので、頭脳作業能力は精神状態に強く影響を受けてました。意識状態をぐーんと下げることのできる精神状態であれば作業しやすいのですが、精神的に不安定な状態になると何もできないに等しい状態になってました。今も昔も、まったくもってポンコツです…

こうやって思い出してみると、リハビリを通して発症前の思考方法に戻ろうとしているだけなのかもしれません。きっと発症前はもっと簡単に潜在意識につながることができていたでしょうね。