(1)『何』対『誰』
世の中には議論をするときの心構えがオープンな人とクローズな人がいるように思います。
オープンな人は「何が正しいか?」に興味のあるようで、誰にでも心を開いて意見に耳を傾けます。一方、クローズな人は「誰がエライか?」に興味のあるようで、心を開く相手を選ぶようです。
前者の文化を持つコミュニティーは地味ながらも発展するように思いますが、後者の文化を持つコミュニティーは派手ながらも衰退していくように思います。
(2)親分子分関係
親分子分関係を重視するコミュニティーでは、後者のタイプの人が多いように思います。
そのため、親分子分関係から外れる人は、意思決定に参加できないばかりか、情報をもらうことすらできません。それだけでなく、敵意に基づく噂話が広められて、疎外されてしまいます。それを避けようと思ったら、親分子分関係に上手に入り込むしかありません。
そのため、親分子分関係が支配的な社会では、目に見えない親分子分関係のネットワークが網の目のように張り巡らされているのではないかと思います。そのネットワークに潜り込めれば安泰ですが、潜り込めないと使い捨てにされる危険性があるように思います。
(3)オープン対クローズ
日本では、親分子分関係がとても重視されるように思います。そのため、政官財学マなど、あらゆる分野で親分子分関係のネットワークが張り巡らされているのではないかと思います。
一方で、日本国憲法では三権分立が定められています。また、あらゆる分野で情報の透明性が求められています。これらの制度は、前述の「何が正しいか?」を重視する人たちにとっては重要な制度ですが、「誰がエライか?」を重視する人たちにとっては足手纏いな制度に見えているのではないかと思います。
そのため、親分子分関係を重視する人たちは、三権分立や情報公開を無効化したいと思っているのではないかと思います。法制度上の廃止は無理でも、実質的に廃止したいと思っているのではないかかと思います。
(4)椅子取りゲーム社会
それが近年の政界の動向に現れているのではないかと思います。
内閣人事局の創設や、不誠実な国会運営や、憲法改正(特に緊急事態条項)の目的は、親分子分関係を重視する人たちにとって理想的な社会を作ることにあるのではないかと思います。それは、親分の言うこと子分が素直に聞く社会、大親分の言うことを末端分子が素直に聞く社会ではないかと思います。
そのような社会は、親分に気に入られた人たちにとってはパラダイスかもしれませんが、疎外された人にとっては地獄ではないかと思います。
喩えるなら、壮大な椅子取りゲーム社会を作ろうとしているのではないかと思います。
(5)ジャパニーズ・ドリーム
日本は「出世」が重視される社会です。故郷へ錦を飾ることが尊ばれる社会です。
親分子分関係の中で出世していく生き方しか知らない人たちにとっては、壮大な椅子取りゲーム社会こそが「誰もが『ジャパニーズ・ドリーム』を体現できる社会」であり、「頑張った人が報われる社会」なのかもしれません。そのような社会こそが、親分子分関係を重視する人たちにとっての美しい理想社会なのかもしれません。
逆に、親分子分関係を苦手とする人にとっては、一生冷遇されることが約束された、苦難に満ちた社会になるかもしれません。
(6)新参者
話は戻って、、
コミュニティーに新参者があるときは、見えないところで取り合いが行われているのではないかと思います。親分子分関係に慣れた新参者であれば、上手に振る舞って親分子分関係のネットワークにすんなりと入り込めるのではないかと思います。しかし、慣れてない人は弾き出されて疎外されることになるかもしれません。
もしかしたら、日本では親分子分関係は生きていくための必須のスキルなのかもしれません。
そのような社会状況にあるからこそ、今の日本の現状があるのかもしれません。ひょっとしたら大多数の人にとっては、親分子分関係を前提とした社会こそが、理想的な社会なのかもしれません。それが選挙結果に現れているのかもしれません。
親分子分関係が苦手な私は、その辺りの世間の心情が大きく変わってくれることを望むばかりです…