法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

手塚治虫(著)「火の鳥」

ここ1週間ほどかけて、手塚治虫の「火の鳥」(朝日新聞出版、全12巻)を読みました。第1巻〜第11巻は1967年〜1988年(39歳〜59歳)の作品、別冊のみ1954年〜1957年(25歳〜29歳)の作品だそうです。

全篇を通して、殺し殺され、奪い奪われ、壊し壊され、騙し騙され… まったく理不尽に、なんのためらいもなく… 主役級からエキストラまでも…

そのたびに心の奥底の方で大変なショックを受けて、何度も呆然となってしまってました。

その状態からなかなか抜け出せず、心の中に嵐が吹き荒れています。

気持ちが落ち着かないので、夜のリハビリ作文のテーマを考えることができない日が続いています。


心の中が荒れるとき、そのきっかけとなったショックよりも、そのショックに寄って呼び起こされた古い古い記憶の方が、遥かに苦しいように思います。

ショックが続くと、たくさんの古い記憶が呼び起こされて、みんな一緒になって心の中を暴れまわります。めまぐるしすぎて、何が何やらわからなくなって、ただ苦しさだけを感じるしかなくなっています。

きっと潜在意識の中では、大きな大きな化学反応が起きていて、やがてガラガラポンとばかりに何かが生まれるのではないかと思います。それまでは、なにやらへんな状態が続きそうです。


顕在意識でできることと言えば、座禅をしたり、念仏を唱えたり… まったく非力です。

「非力だとわかっている人は幸いなり。天国は彼らのものである。」

そんな風に思っているので、苦しいながらも安心して過ごしています。