法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

現代ならではの葡萄酒は、現代ならではの皮袋に

世の中の発展のためには、多少の背伸びは必要かなと思うことはあります。仮に目標ピッタリにたどり着けなくても、その過程で様々なことを学んで、世の中のプラスになる副産物をたくさん生み出してくれるのではないかと思うからです。


成功している事業家は、従業員のやる気を引き出す目標を上手に立てて、目標と現実の折り合いを上手につけて絶妙に軌道修正しながら、みなが納得する地点へと会社を導いていることと思います。(例えば、iPhoneを作ろう!)

約半世紀前の高度経済成長期であれば、多くの人たちで共有できる目標を立てやすかったかもしれません。しかし今は人によって考え方が随分と違うので、みんなで共有できる目標を立てたり、みんなが納得する舵取りをすることは、半世紀前と比べると随分と難しくなっていることと思います。

それでも、現代ならではの目標の立て方、プロジェクトの進め方はあるのではないかと思います。そのようなやり方を見つけて実行するのが、本当の専門家集団ではないかと思います。(SDGs も本来は、現代ならではの目標の立て方ではないかと思います)


しかし、どうもそれができてないような気がしています。

代わりに利権村が幅を利かせているように思います。原発村しかり、感染症村しかり…

あるいは、上意下達主義が幅を利かせているようにも思います。あいだにいる人たちは、上意を上から下に流して、報告書を下から上に流して、下意は聞き流す。そのため、現場は報告書作成と責任転嫁だけで疲弊して実効性のあることができない… そんな風になってるんじゃないかな…

きっと一所懸命にやってる人はいっぱいいると思うのですが、暖簾に腕押し、糠に釘になってるのかもしれないなぁ…

(すみません、この節は空想です)


新約聖書に次のように書いてあるそうです。

『だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、その皮袋は張り裂け、酒は流れ出るし、皮袋もむだになる。だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。そうすれば両方とも長もちがするであろう』(マタイによる福音書 第9章 第17節)

世の中の仕組みをすっかり変えてしまわないといけないのかもしれません…