法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

表現の難しさと言葉遊び

私のように普通の人と何かと違う人は、人様に感覚や思考を伝えようと思っても、うまく表現できないことがよくあります。世間でよく使われている語彙の中には、特殊な感覚や思考を伝えるための適切な語彙がないからです。

(※共通の語彙で伝えられるのは、共通化された概念だけだと思います。だからこそ、表現することは難しくもあり、楽しくもあるのだと思います。)

例えば私が「脳の疲労」や「聞き取れない」という言葉で表現していることは、発症前には体験したことのない状態ですし、「できる」「できない」「難しい」「大変」などと表現していることも、発症前とはまったく異なる基準で表現していることが多いです。

ですから、「その言葉で何を表現しようとしているのだろう」と発話者の気持ちを読み取ろうとしてくださる方は、とてもありがたいです。少しずつ理解してくださるのではないかと期待できるからです。


一方で、頭の中の辞書と照らし合わせながら言葉を理解しようとする方とは、相性が悪いです。まったく違う意味で伝わって、話せば話すほど誤解が大きくなっていくことがよくあるからです。大変失礼ながら、なんだか「言葉遊び」をしているような感覚になることがあります。

(もしかしたら学生時代は優等生だったのかなぁ、などと空想することもあります。いろいろな言葉を一所懸命に覚えて、テストでよい点を取っていたのかもしれません。就職試験でも有利に働いたのかもしれません。そしてそのまま大人になられて、言葉だけの「のっぺり」した世界に暮らしておられるのかもしれません。そしてもしかしたら、苦しい人生を必死に生きておられるのかもしれないなぁ…と思います。大変失礼な見方ですね、すみません。)

人数的にはそんなにはいらっしゃらないのですが、印象には強く残るもので、、なんとなく思い出したので書いてみました。