(1)寒さを忘れて
今日も自転車で買物に出かけました。風がとても冷たくて、100mくらい走ったところで引き返したくなったくらいです。それでもなんとか往復できました。
帰り道の下り坂で、ふとペダルの上に立ってみたくなりました。眺めがすっかり変わって、とても気持ちがよかったです。
不思議なもので、景色を楽しんでいるときは寒さをまったく感じませんでした。安全運転のため前方を見ながら、もちろん路上の落下物にも注意しながら、時々チラチラと周囲を眺める。自分の体に意識を向ける余裕がなくなったからでしょうか、寒さを忘れて、とても気持ちのよいリラックスした時間でした。
(2)やっぱり寒い
ところが平地に戻って、サドルに座ってゆっくりとペダルを漕ぎ始めた途端、再び風の寒さを感じるようになりました。手足の先やお腹や頬など、体のあちらこちらから体温が逃げていくのを感じるようになりました。そして全身が若干力むようになりました。
この違いはどこから生まれてくるのでしょうね… おそらく、熱産出量の調整は熱放散量に応じて自動的に行われているものと思います。それとは別に、寒いと「思う」かどうかによって、体がリラックスしたり緊張したりするのでしょうか…
言い換えると、体がリラックスするか緊張するかは、実は気温とは関係なく、「心のありよう」によって決まるのでしょうか。すなわち、寒いと思ったら緊張して、心地よいと思ったらリラックスする。景色が平凡だと寒さを感じて緊張して、景色よければ寒さを忘れてリラックスする。なんだか原因と結果が逆転したみたいで、面白いなと思いました。
(例えば、都会で体験する雪は冷たいけど、スキー場で体験する雪は心地よかったりするのかしら…)
(3)温かさに包まれて
ちょうど1週間前のこと。お腹の不調で一晩トイレにこもりました。記憶では、夜9時頃から朝9時頃までのうち、10時間くらいはトイレにこもっていたように思います。トイレには暖房はありませんが、氷柱ができるような気温ではありませんでしたので大丈夫でした。
寝巻きの上にジャンパーを羽織っただけの服装でしたが、一晩こもっても寒さを感じることはなく、それどころか時折、温かさに全身を包まれた感覚を抱きました。暖房のない個室で、あの温かさはどこからやってきたのかしら… 人体に秘められた熱産出能力は、意外と高出力なのかもしれません。