法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

伊藤玲阿奈(著)『「宇宙の音楽」を聴く』

伊藤玲阿奈(著)『「宇宙の音楽」を聴く』を読みました。

著者は国際的に活躍する指揮者(福岡県出身、米国ニューヨーク在住)です。書名の「宇宙の音楽」は、宇宙に満ち満ちている神が奏でる音楽のことだそうです。

この本では、「宇宙の音楽」を糸口として古代から現代までの人々の思考回路を俯瞰して、最後に現代に生きる指揮者である著者の思考方法がまとめられていました。特に前半で紹介されていた、古代ギリシアからキリスト教を経由して現代にまで伝わる思想の系譜について、とても興味深く読みました。(後半では中国とインドの思想が紹介されていました)

新書版ながら、注釈を含めると400ページもの大著です。読みながら感想を記録していかないと、感動が上書きされて、どんな感想を抱いたかわからなくなってしまいます。しかも、読み終わってから何日か経ってしまいました… と言う訳で、細かい感想は書けません。。

以下は、西洋の思考回路について思ったことです。(本書に刺激を受けての感想ですが、本書に対する直接の感想ではありません)


(1)理性の活躍

古代ギリシアからの伝統か、西洋では伝統的に「理性」や「論理」を重視するようです。

「前提」を元に「推論規則」を用いて「結論」を得る。「前提」が聖典であった時代もあれば、観察や実験であった時代もあればと様々ですが、いずれにしても「宇宙の摂理」は人間の「理性」で理解できるという「大前提」があったようです。

逆に言えば、人間の「理性」が理解できるところまで話を単純化して議論するのが、西洋の思考回路の大きな特徴と言えるのではないかと思います。

そして、その作戦が功を奏して生まれのが近代科学ではないかと思います。自然現象を実用的な範囲で近似して数式等で説明すること成功しました。現代人は近代科学の恩恵に大きくあずかりながら快適に暮らしています。

(2)理性の誤用

その一方で、全体を見通せないまま無理矢理「理性」で理解しようとしたがゆえに、強引な単純化をしてしまって、まったく明後日な結論を得ている分野は実はたくさんあるのではないかと思います。

また、資本や権力が望む結論を得るために、不誠実な単純化をしている分野も実はたくさんあるのではないかと思います。

このように西洋の思考回路がその限界を超えて適応された結果、誤った結論が導かれてしまい、シワ寄せを受けて苦しい思いをしている人たちは、世の中にはたくさんいるのではないかと思います。

千年前・百年前の科学的知見と、現代の科学的知見は、大きく異なっています。同様に、現代の科学的知見と、百年後・千年後の科学的知見と現代の科学的知見も、大きく異なると思います。今日現在の科学的知見を絶対視して大きく依存すると、地球全体がとても痛い目にあうと思います。

(3)理性はツール

人間の「理性」が理解できる範囲は、本当はとても小さいのではないかと思います。例えば、宇宙の摂理をいくら理解しようと頑張っても、ほんの一部しか理解できないのではないかと思います。同様に、人間の「こころ」も、人間社会も、生態系も、どう頑張ってもほんの一部しか理解できないのではないかと思います。

人間の「理性」は人間の主体ではなく、道具だと思います。人間の「理性」の得手・不得手をきちんと理解した上で、便利なツールとして上手に付き合っていくことが大切だと思います。


平たく書くと、、人間の理解力なんて知れていると思います。万能視することなく、上手に付き合っていくことが大切だと思います。本書の要旨とは関係ありませんが、この本を読んでそんなことを思いました。