法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

意識の中心を使わないで思考する

今日も昨日の続きをしました。技術的な作業をしていると、ついつい発症前と同じような思考をしてしまうことがよくあって、脳に無用な負荷をかけて休憩が必要になることがよくあります。

本当は脳の壊れてしまった部位に負荷をかけないように思考すればよいだけの話かもしれませんが、どうすればそれが実現できるのか、今日の時点ではさっぱりわかりません…

仕方がないので、「思考しない」ことを目標にしています。


今日は思い立ってネットで動画を拝見しました。(100分あまりの動画です)

とは言え、真面目に聞くと10分もすると脳が疲労してしまいます。しばらく休憩して続きを聞くと10分もしないうちにまた脳が疲労してしまいます。このままでは聞ける時間がどんどん短くなって、休憩時間だけで一日が終わるかもしれません。。仕方がないので、真面目に聞くのを諦めました。

そこで、ソリティア(正式名クロンダイク)をしながら BGM 代わりに聞くことにしました。画面は時々チラ見しました。当然、あまり理解できませんし、あまり記憶にも残りません。しかし全然聞けないよりマシかな、と思ったのです。

ところが意外と聞けるんですね。視覚に喩えると、中心視野で注視するのではなく、周辺視野でぼんやり見てるのと同じような状態かもしれません。意識の中心はソリティアにあるのですが、意識の周辺のどこかでぼんやりお話を聞いていて、なんとなく理解して、なんとなく記憶しているのです。

もちろん、十分には理解できてませんし、十分には記憶できてません。それでも、まったく聞かずに終わるより、遥かによかったと思います。そんな感想を抱くくらいには、聞き取ることができました。

(当然ですが、ソリティアの成功率は低かったです…笑)


もしかしたら、脳の壊れた部位は、意識の中心部分の近くにあるのかもしれません。

そのため、顕在意識の中心で思考しようとすると、脳に過負荷を与えてすぐに疲労してしまうのかもしれません。ところが、意識の周辺部分は意外と生き残っていて、ながら聞きができたり、潜在意識でなら複雑なことを考えたりできているのかもしれません。お蔭で「昔取った杵柄」くんが生き残ってくれているのかもしれません。

今日の経験を通して、そんな仮説を立ててみました。仮にそうだとすると、「意識の中心を使わないで思考する」ようにすれば、随分といろんなことができるようになるかもしれません。(顕在意識では思考せず、周辺意識で思考する、というべきかもしれません)

しかし、どんな風にすればそれが実現できるかは現時点ではわかりません。これから少しずつ経験を積みながら、その方法を見つけていきたいと思います。