法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

顕在意識にできること

私は後遺症により、顕在意識で認識したり思考したりできる範囲が随分と狭くなっています。しかし考えてみると、健康な人であっても、顕在意識が認識したり思考したりできる範囲は、実は限定的なのではないかと思います。

例えばクルマを運転するにしても、行き慣れたところであれば、あれこれ考えごとをしながらでも適切に運転して目的地に到着できます。仕事をするにしても、やり慣れた作業であれば、段取りなど他のことを考えながらでも、問題なくできることは多いのではないかと思います。歩くにしても、食べるにしても、おしゃべりしながらでも問題なくこなせます。最近マイブームの熱産出や熱放散の制御も、顕在意識を介さず行われます。

こんな風に考えると、暮らしの中でも顕在意識の役割は、本当はとても小さいのではないかと思えてまいります。顕在意識が介在できるのは人生や行動の方向性くらいのもので、それ以外のことは顕在意識から見えないところで適切に執り行われているのではないか。喜びの源ですら感覚器官など顕在意識の外にあるのではないか。顕在意識は、方向性だけ決めたら、あとは結果を待っているだけの存在ではないか。肉体から見たら、いらんことばかり考えてる無駄飯食いの、食客のような存在ではないか(笑)。そんな風に思えてまいります。

しかしそれでも、敢えて顕在意識の意義を考えてみると、肉体内の情報交換の交通整理係のような存在ではなかろうかと思います。例えばクルマで出掛けるとき、顕在意識は目的地を決めて、脳内の運転係に全身の制御を委ねます。あるいは文字を書くとき、顕在意識は書きたい文字(文章)やスタイルを決めて、脳内の筆記係に体を委ねます。肉体内の交通整理係をしているのは、顕在意識だけではなく、潜在意識を含めた意識全体と考えるべきかもしれません。

意識が肉体内の交通整理係だとすると、集中力を高めて取り組んだ方が仕事の精度や品質が高まることも理解できます。交通整理係がその場で的確に采配できるからです。

今日はクルマを運転しながらこんなことを考えてました。いつものことながら、顕在意識はまったく明後日なことを考えているにも関わらず、脳内のどこかではクルマの流れや道路の状況をきちんと観察して、ハンドル操作や加減速もきちんと行って、後続車が急いでいるときはバス停等を利用して追い抜いてもらいながら、きちんと安全運転してるなんて、すごいものだと思います。肉体の性能は、顕在意識の能力より遙かに高いのではないかと思えてまいります(少なくとも私の場合はおそらく事実です)。