法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

人生は神様との指導対局

(1)電気湯たんぽ3号機

電気湯たんぽ2号機が壊れたので、3袋目の電気湯たんぽを購入しました。これで1号機と3号機の2袋体制です。

しかし、最初の頃のように電気湯たんぽで体をガンガン温めようという気持ちは、今回の寒波を体験してだいぶん薄れました。一番大事なのは体の熱産出量を上げることだと思うようになったからです。

そのためには、灯油ストーブや電気湯たんぽにあまり頼らず、体を寒さに少しずつ慣らしていくことが大切だと思うようになりました。暖房器具のパワーが足りなくなっても(電気湯たんぽが1袋になっても)、体は意外と対応できるみたいだからです。

先日までの興味は、はたして手持ちの暖房器具(電気座布団+電気湯たんぽ×2+電気毛布)だけでこの冬を越せるか、でした。しかし今の興味は、体の熱産出能力をいかにして引き出すか、です。

はてさて、できるかな…

瓢箪から駒」ではありませんが、電気湯たんぽ2号機がちょうど寒波の来る日に壊れたお蔭で、「目から鱗」な開眼です。

(2)困ったことは起こらない

足し算を習ったばかりの小学一年生にとっては、足し算の宿題は一所懸命解かなくてはいけない大問題だと思います。しかし中学一年生に同じ宿題を出すと、面倒くさがられるだけではないかと思います。ところが大学一年生に出してみると、解く時間を競ってみたり、わざと上下逆さまにして答えも逆さまに書いて正確性と時間を競い合ったりと、遊びにしてしまうのではないかと思います。

そんな風に、同じ宿題でも人によって捉え方はまったく違うのではないかと思います。

「困ったことは起こらない」

何か問題が起きたとき、「困った、困った」と思う人もいれば、「チャレンジングだなぁ、ワクワクするなぁ」と思う人もいます。真面目な人は「素晴らしい学びの機会だ」と思うかもしれません。問題をどんな風に捉えるかは人それぞれ、まさに自由意志の世界だと思います。

本当は「困ったことが起きる」のではなくて、「起きたことに対して、後付けで『困った』ラベルを貼っている」だけではないかと思います。ですから、一旦ラベルをはがして素直な目で見つめると、世界が全く違って見えるのではないかと思います。

この世がどんな風に見えるかには、この世にどんなラベルを貼りたいか、という気持ちの現れだと思います(すなわち、世界観の現れだと思います)。この世は見たいように見えるものだと思います。

(3)人生は神様との指導対局

例えば対戦ゲームでもスポーツでも、相手が思い通りに動いてくれると(期待通りにヘマしてくれると)嬉しい人もいれば、相手が想定外の好手・好プレーを繰り出すとワクワクして気持ちが燃える人もいると思います。

また、相手のとんでもない悪手に怒り狂って冷静さを失う人もいれば、相手の悪手を冷静に咎めて優勢を築く人もいると思います。

人生も同じようなものではないかと思います。

例えば「人生は神様との将棋だ」と思ってみる!

おそらく指導対局なので、真剣に取り組めば神様の一手一手から学ぶことはとても多いと思います。