法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

発症時の記憶

(1)第一幕

ある年の秋のことでした。台風通過直後の深夜バスに乗ったところ、大渋滞で到着まで20時間くらいかかったことがありました。運転手さん2名は勤務時間を大幅に延長して、目的地まで交代なしで運転されました。本来なら、バス会社が事態を予測して運行自体をキャンセルするなり、最寄駅で乗客を降ろして交通費を補償するなり、最悪でも交代要員を派遣するなり、しっかりと手を打つべき状況だったと思います。運転手さん2名は励まし合って勤務されてました。

それはさておき、深夜バスの客席に20時間も座っていると、私のような胴長短足の人間でも、足に余計な負担がかかってしまったようです。バスから降りて歩き出した途端、足に電流が走ったようにビリビリと痺れました。痺れ自体は一瞬のことでした。それからしばらくは、足がちょっとダルいな、という程度で特に困ったことはありませんでした。

それから2週間くらい経ってからでしょうか、お仕事でじっと座って思考作業をしていると、気がつくとハァハァと呼吸がかなり荒くなってしまうことに気付きました。何か特別なことをしていた訳ではなく、いつものように椅子に座ってキーボードとマウスを使って作業してただけです。やがて思考能力が大幅に低下してしまって、思考作業ができなくなってしまいました。さらには、ちょっと出掛けると、200〜300m ごとに立ち止まっては、空を見上げながら休憩しないといけなくなりました。そして、とても仕事を継続できる状態ではなくなってしまいました。(深夜バスから1ヶ月も経ってなかったと思います)

おそらく、深夜バスで脹脛(ふくらはぎ)に血栓がたくさんできてしまったのだと思います。最初は脹脛で詰まってのでしょう。ところが、ゆっくりゆっくりと静脈に乗って心臓経由で肺に移動して、肺の毛細血管を詰まらせて、肺の呼吸能力を大きく低下させてしまったのではないかと思います。その結果、脳の酸素消費量を賄えなくなってしまったのでしょう。

それから時間とともに肺を抜け出して、やがて心臓経由で全身のあちこちの毛細血管を詰まらせてしまったのではないかと思います。その結果、脳の思考能力が落ち、筋肉や内臓の能力も落ち、全身の能力があれこれと随分と落ちてしまったのではないかと思います。

幸いにして、日が経つにつれて少しずつ能力が回復してきました。おそらく、全身の毛細血管の流れの緩やかなところに血栓が引っかかって、一種の安定状態を作ったのだと思います。そして穏やかなことなら無理なくできるところまで回復していたのだと思います。私は能天気なので、お仕事をサボってしばらく休暇を満喫しておりました。

ところが、寒くなって血管が収縮してくると、再び状況が悪化してきました。脳も体も再び思うように動かなくなってきました。

(2)第二幕

そんな冬のある日のこと、事務作業で脳を激しく使わなくてはいけない日がありました。若干の抵抗を試みたのですが、どうしてもやらなくてはいけないとのこと。そこで、思うように回らない脳に踏ん張ってもらって、なんとか事務作業をこなしました。その疲労回復のため、脳に血液を大量に回さなくてはいけなくなったのだと思います。

その当日だったか、翌日だったか記憶は定かではありませんが、生まれてこのかた経験したことのないような激しい頭痛に襲われました。あまりに痛くて転げ回るよりほか、何もできないような激しい頭痛でした。

そのときの私の記憶は曖昧です。床が迫ってくる映像(おそらく倒れたのでしょう)、それから足をジタバタさせて転げ回った記憶、気がつくと明るかったり、暗かったり、薄暗かったりしてました。そして起き上がりました。一瞬のことだったような、そうじゃないような、よくわからない記憶です。

当時は、ちょうど引っ越しまであと1ヶ月という時期でした。頭の中には引っ越しのことしかありませんでした。よくわからない曖昧な記憶のことはとりあえず忘れて、ただただ引っ越し準備に取り組みました。幸い引っ越しは平均して2年に1回くらい経験していたので、なんとかなりました。しかし引っ越し準備期間の記憶はあまりありません。覚えているのは、メールを書こうとしてわずか1行(数十文字)を書こうにも、なかなか文章になってくれなくて、なぜだかあっという間に1時間経っていたことが何回かあったことくらいです。他にもおかしなことがあったように思いますが、ほとんど記憶にありません。

引っ越しが終わってからは、最初はあちこち出掛けてました。しかし何かおかしいのです。講演を聞こうとするとすぐに居眠りしたり、どう頑張っても最初の5分くらいしか聞き取れなかったり、ちょっと出掛けると2〜3日ぐったりするしかなかったり。。

どうも何かおかしい、と本気で思い始めたのは、夏頃のことだったと思います。かなりの鈍感ですね。(それだけ脳の回転力が低かった、ということでもあります)。そこで曖昧な記憶をたどってみたり、スケジュール帳を眺めてみたり。そしてようやく気がつきました。これって○○○の症状にそっくりだと…

幸か不幸か、私は身近な人が○○○で半年間入院して、退院後はデイサービスでリハビリに通う様子を間近で見てました。その際、経過や症状や病院の処置やリハビリなどについて、色々と観察したり勉強したりしてました。そして、現代医学が○○○に対して処置できるのは最初の2〜3日で、半年もすれば特に何もできることがなくなり、リハビリ施設に通うことになることも知ってました。リハビリで何をするかも見てました。

私は発症から最初の2〜3日は自宅で気を失ってましたし、発症から半年経ってようやく何かおかしいことに気付きました。今更病院に行っても仕方ない、というのが当時の私の判断でした。

(3)それから

そんなこんなで、結局一度も病院に行くことなく、我流のリハビリを続けています。

なんとかなっているのか、どうしようもないのか、感想は人それぞれだと思います(笑)

私は自分の命を見ず知らずの人に預ける勇気はありませんし、他人から言われたことをそのまま実行するような素直に人間でもありません。

それよりも、あれこれ工夫を重ねて試行錯誤を繰り返しながら、成功を活かし失敗から学びながら生きることの方が、はるかに楽しくまた有意義な人生を送れると思っています。ですから、私自身はとても楽しく、ワクワクしながら生きています。(例えば、電気湯たんぽ2号機が壊れたことにもワクワクしているくらいです)


(4)自分のモノサシで生きる

発症前のいつの頃からだっか忘れましたが、あるときからアタマで考えるのをやめてしまいました。

アタマの中には他人から教わった価値基準や情報が詰まっています。ですからアタマで考えると、自分で考えているようでいて、実は誰かが唱えた判断基準に従っているだけのことが多いように思います。だからでしょうか、アタマで考えていた頃は後悔ばかりしてました。

ところが、いつの頃からかアタマで考えるのをやめて、内なる心の声に従うようになりました。もちろん、実際に声が聞こえてくる訳ではありません(笑)。心の内側から、ああしたい、こうはしたくないと自然な思いがあふれて来たときは、それに従うようになりました。すると決断は一瞬、後悔はゼロになりました。

ただ、世間の常識とは異なることばかりしてしまうようで、アタマで考えて生きている人には理解できない変なことばかりする人になっているようにも思います。意味不明で傍迷惑な存在になっていたら、誠に申し訳ありません。