法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

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今日はアート作品展を見に行ってきました。前回はどうやって作ったか(作り方)に意識が集中してしまいましたが、今回はそれぞれの作品が持つ文化的背景に意識を集中させて拝見することができました。

ひとつひとつの作品の背景には本当は沢山の沢山の物語があって、それを言葉では表しきれないからこそアート作品の形で語りかけているのだと思います。しかし、物語を読み取る能力の低い私は、ついつい言葉で背景を知りたくなります。(どうもすみません…)

俳句や短歌でも同じようなことが言えるのかもしれません。十七文字や三十一文字だからこそ伝えられる情景や情緒があると思う一方で、十七文字や三十一文字では情景や情緒を受け取れない私がいる。では受け取るために何が欲しいかというと、ひょっとしたら作者の自伝くらいの情報量かもしれなくて、、それはそれで読み通す気力が足りなさそうです。

このように考えてみると、美術作品を拝見するときは、俳句や短歌を拝見するときと同じ気分で鑑賞すればよいのかも… 0文字を読む… うーん、初心者なので奥の細道くらいの紀行文は併せて読みたいかも… うーん、やっぱり紀行文でも読み通す気力が足りないかも…

ところで、高校生の作品も拝見しました。オギャーと生まれて十数年であんなすごい作品が制作できるようになるんですね。私のここ十数年の成長ぶりと比べると、まさに月とスッポン。若って実年齢ではなく、成長のエネルギーのことかもしれないなぁと思いました。