法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

諸仏如来

道元禅師の著作『辨道話(べんどうわ)』は「諸仏如来」の四文字から始まります。

岩波文庫の脚注によると、「諸仏は自己の正体であり如より来るもの。如はありのままの真実。」とのことです。

勝手解釈ですが、二文字目の「仏」は自己の内に潜む仏性であり、三文字目の「如」は仏性の根源(=いのちの根源)を意味しているのではないかと思います。ですから「諸仏如来」とは「山川草木あらゆる存在はいのちの根源より来る」という意味ではないかと思います。

そのように解釈すると、『辨道話』の冒頭部分は次のような意味ではないかと思います。

「あらゆる存在はいのちの根源から来ているのだから、本来は最初から悟った存在である。本来は妙なる法が内面からあふれ出て来る存在である。身の回りのあらゆる命、あらゆる物は、最初から悟った存在である。人間も本来は悟った存在である。そのことを思い出すための素晴らしい方法が座禅である。」

以上、素人による勝手解釈でした。ちゃんちゃん。


今日は岩波文庫正法眼蔵」の冒頭に収められている『辨道話』を音読しました。

ページ数を確かめないで軽い気持ちで音読を始めたところ、文庫本で39ページもあり、音読に1時間余りかかりました。

およそ800年前の道元禅師の著作ですから、たった1回音読した程度では到底理解できるものではありません。喩えるなら、「アルファ碁対イ・セドル」の対局を、低級位者の私がたった1回棋譜並べしたところで何も理解できないのと同じです。

理解しようと思ったら、道元禅師の数々の著作に親しんでいく必要がありそうです。