法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

美しい一手、神の一手

数学者が「美しい数式」と言うとき、フォント・デザインが美しいのではなく、数学的含蓄の美しさに感嘆している(んだと思う)。

囲碁棋士が「美しい一手」と言うとき、手つきが美しいのではなく、複雑で困難な状況を一気にシンプルで有利な状況に変化させるヨミの深さに感嘆している(んだと思う)。

レンズ設計者が「美しい並び」と言うときもきっと、光学的に見て複雑で困難な状況を一気にシンプルにして、様々な要求を一気に満たすような並びのことではないかと思う。

それぞれの分野での審美眼というのはとても大切なんだろうと思う。

あるレンズ設計者の言葉より
「良いレンズは、レンズ断面図が美しいのです。」
「特に、前から数えて4枚目から12枚目までの並びが美しい。」
出典: https://youtu.be/k1C0B3eoquE?t=73 (Nikon)


神の一手に感嘆できる審美眼を持ちたいものだ。

神の一手というのは、本当は当たり前すぎて見過ごしてしまいそうなところに潜んでいるんじゃないかと思う。広大な宇宙の中のほんの小さな一片ですら、漏らすことなく誤ることなく、あるべき一手が選ばれている。

本当はこの大宇宙のどこを見ても、神の一手にあふれている。ただ人間だけが、浮き足立ってあり得ない手を選んでいる。

逆に言えば、人間は神の一手から外れることが許される貴重な存在なんだと思う。外れるからこそ、神の一手の偉大さがわかるのかもしれない。人間だけが、神の一手に感嘆できるのかもしれない。

だからこそ、人間に生まれたからこそ、神の一手に感嘆できる審美眼を持ちたいものだと思う。