法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

自然に謙虚な気持ちになる人、自然に育つ人

将棋の藤井聡太二冠や羽生善治九段のインタビュー動画を見てみると、とても穏やかに受け答えされてます。将棋の奥深さを知っているからこそ、将棋に対しても、将棋以外のすべてに対しても、自然と謙虚な気持ちで接しているのではないかと思います。そのため、インタビュアーや視聴者を含めて、他者に対する敬意が自然にあふれ出てくるのではないかと思います。

おそらくあらゆる分野において、それぞれの世界を自らの力で究めようとしている人たちは、専門分野に対しても、専門分野以外のすべてに対しても、自然と謙虚な気持ちになるのではないかと思います。

逆に、人を見下したり偉そうな態度を取ったりする人たちは、それぞれの世界を究めることにはあまり興味のない人たちではないかと思います。深く探究するための時間を削ってでも、「自分が優れていて他人が劣っている」という妄想ストーリーに溺れる時間を大切にする人たちだからです。そのような態度を取る人たちは、態度が大きいだけで中身の薄い人たち、すなわちハリボテである可能性がとても高いと思います。


ところが世間一般の人からすると、(自称も含めて)専門家の知見や体験の深さを判定するのは、簡単なことではありません。そこで、立派な肩書を持っている人や、威厳のありそうな人、あるいは快刀乱麻を断つ(ように見える)人など、中身ではなく見え方で判断することが多いのではないかと思います。

その結果、うっかりハリボテに引っかかって、これまで何度も失敗してきた人は多いのではないかと思います。あるいは、失敗したことに気がつかないでいるかもしれません。逆にハリボテになれば信頼してもらえるぞ、と思って印象操作に余念のない人もいるかもしれません。


そこで、思い切ってまったく別の基準に切り替える必要があるのではないかと思います。

ではどうしたらよいでしょうか?残念ながら私もわかりません。

とりあえずは私は、それぞれの専門分野に対して自然に謙虚な気持ちでいる人、事実に対して自然に謙虚な気持ちでいる人を選びたいと思っています。そのような人は、仮に今日の時点で知見が不十分だったとしても、その時々に必要な調査・実験を深く行うと思うからです。そしてやがて、必要な知見を十分に身に付け、いつしか誰よりも詳しくなっていることと思うからです。

このような長期的な観点から、私は自ら育つ人を選びたいと思っています。