法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

キリスト教の「レクイエム」と「最後の審判」

昨日からレクイエムを連続で聞いています。

Wikipedia によると、レクイエムは本来は「死者の安息を神に願うカトリック教会のミサ」を意味する言葉で、狭義にはこのミサで用いる聖歌を指す言葉だそうです。ミサの式文はカトリック教会が決めたもので、その式文に合わせてたくさんの作曲家が曲をつけているそうです。一番有名なのはモーツアルト作曲のレクイエムではないかと思います。

昨夜から、モーツアルトフォーレヴェルディブラームスベルリオーズ、ケルビーニなど、「レクイエム」を連続で聞いています。キリスト教では、亡くなられた方々は「最後の審判」まで眠っておられるそうです。レクイエムは長い眠りに入った死者に贈るミサであり聖歌です。眠りにつかれた方々が「最後の審判」で永遠の命を得られますよう。

Wikipedia によると、「キリスト教では、世界の終わりにイエス・キリストが再臨し、あらゆる死者をよみがえらせて裁きを行い、永遠の生命を与えられる者と地獄に墜ちる者とに分ける」そうです。たった一度の人生で「最後の審判」の結果が決まってしまう厳格な死後観です。喩えるなら、誕生は試験開始の合図であり、死は試験終了の合図です。だからこそ命は重く、人生は重いのかもしれません。また、イエス・キリストの言葉は重く、神の言葉も重いのかもしれません。

キリスト教徒にとって「最後の審判」は人生観の中心となる重要な教義であり、終末論は世界観の中心となるとても重要な教義なのかもしれません。はたして我々はいま、終末を迎えつつあるのでしょうか…