法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

庶民にも暮らしがあり文化がある

先日の緊急事態宣言によると、人と人との接触機会を最低7割、極力8割削減することが求められているそうです。通勤通学を一切やめて、自宅に引き籠る以外に手がないような目標値です。その目標値が達成できれば、2週間後に感染者数を減少に転じさせることができるそうです。1ヶ月後にはどこまで減らせるのかしら… その後、元の生活に戻ったらどうなるのかしら…

この目標値は、厚生労働省クラスター対策班の提言が元になっているそうです。私は素人なので疑問でいっぱいです。現状の感染者数の推測値の正確性、計算モデルの妥当性、パラメータの的確性、推測誤差の影響度。素人なので論文を読んでも理解できないままだと思いますが…。公開ワークショップで議論を積み重ねた信頼性の高い提言なのか、一握りの人たちが突貫で作り上げた信頼性の低い提言なのか、提言の検討過程も含めて情報公開して欲しいところです。

一方で、行政の対応を見ると、どうも人々の接触機会を8割も削減する気がなさそうです。政府は経済活動への影響を極力小さくしたいようで、制限も本心では先送りしたいようです。都道府県の方が乗り気のように見えますが、それでも不要不急な活動(余暇や娯楽など)の制限が中心のようです。(誤解してたら申し訳ありません)

このような現状を考えると、はたして提言は的確なのか、現状で本来の意図は実現できるのか、中途半端な対策で時間を無駄にするだけではないのか、反省がないままダラダラと続けるしかなくなるのではないか、そのような疑問を抱いています。

それと同時に、極めて日本らしい物事の進め方だなとも思います。


ところで、行政も学者も、人々のことを割合で考える傾向があるように思います。

一口に「人と人との接触を8割減らす」と言っても、仕事によって、社交性によって、ネット習熟度によって、削減のための方法論も実現可能性も経済的打撃も全然違うと思います。また、手をつけやすいからと言って余暇や娯楽から削減すると、指定された業界が壊滅的な打撃を受けてしまうと思います。そのような現実を無視して割合だけで議論すると、社会的立場の弱い人たちに大きな大きなシワ寄せが集まって、彼らの生活も、彼らが築き上げてきた文化も、轟音とともに崩壊しかねないと思います。

行政は「3密(密閉・密集・密接)」回避を提唱していますが、これはあくまで集団感染(クラスターの発生)を防止することが目的です。一人一人の感染を防止するには、まったく足りてません。行政としてはクラスターさえ防止できればよいと思っているのかもしれませんが、本来であれば、一人一人を守るという視点に立って、より詳細な感染防止策を提唱すべきではないかと思います。

また、一人一人の感染防止を徹底する方向に舵を切れば、厚生労働省クラスター対策班の提言の内容も変わってくるのではないかと思います。そして庶民が経済的な苦境から早くに脱出できるのではないかと思います。

行政は、一人一人の暮らしや立場にもっと思いを寄せるべきではないかと思います。議会はもっと声を上げるべきではないかと思います。庶民は実験動物ではありません。


こうやって書いていると、私がどこでブレーキを踏むのかが垣間見えて面白いです。

途中を端折って書きたかった結論だけ書くと、日本は人材不足だと思います。

もしかしたら、現代日本で高く評価される「人材」と私のイメージする「人材」が大きく違うのかもしれません。私自身は間違いなく「人材」とは正反対のタイプなので、偉そうに発言できる立場ではありませんが…。少なくとも、現代日本における人材評価基準は、世界的に見ると珍しい部類に入るように思います。仮に基準の良し悪しは別にしてもです。