法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

ワンマン経営者は実は操り人形ではないか(日本だけかもしれませんが)

ワンマン経営者というと、社内の権力構造の頂点に立ち、あらゆることに口を突っ込んで独断で采配を振る人、というイメージを持っていました。しかし複雑な人間関係で成り立つ会社組織の中で、また様々なプロジェクトが同時進行している複雑な業務運営の中で、実際問題としてそんなマンガチックなことは可能なのでしょうか…

(以下では、ワンマン経営者のことを簡潔に「ボス」と表記します)

ボスは人事権を握っているので、信頼できる部下を幹部として取り立てることができます。そこで独裁色が強い人ほど、飲み込みが早く従順な人を重用して、気分良く効率良く事業を推進していくことを選ぶのではないかと思います。(ポイント1:独裁色が強い人ほど、人物評価の物差しが特殊で、部下をコマとみなす)

一方、幹部に引き立てられた人から見ると、ボスから厚く信頼されて重要な仕事を任される訳ですから、とてもやりがいを感じることと思います。そして、ボスから益々信頼されるように、また誤って不興を買うことのないように、一所懸命に仕事をすることと思います。

この時、ボスの独裁色が強ければ強いほど、幹部たちは必死で忖度して、ボスの耳に心地よい報告や提案を上げることに注力するようになるかもしれません。また、自らの提案を採用してもらうために、方便として様々な色付けを行うようになるかもしれません。やがて、幹部同士が競って、忖度と思惑にまみれた美辞麗句で埋め尽くされた報告や提案ばかりを上げるようになるかもしれません。(ポイント2:独裁色が強い人ほど、良し悪しの物差しが特殊で、幹部の迎合を好む)

その結果、やがてボスの元には正確な情報や優れた知恵が届かなくなり、ボスがどんなに頑張っても「お釈迦様の掌中の孫悟空」状態となってしまい、実質的には幹部に操られているに等しい状態になってしまうのではないかと思います。(ポイント3:独裁色が強い人ほど、采配を振るだけで、中身は丸投げ)

すなわち、ボスの独裁色が強ければ強いほど、戦線が拡がりすぎて詳細を把握できなくなり、やがて幹部の操り人形になってしまうのではないかと思います。

(これは日本国内で独裁色の強い組織をいくつか直接間接に眺めての感想をマンガチックなまでに単純化して書いたものです。異なる組織文化を持つところは多数あると思いますし、異なる社会文化の国では状況はまったく異なるかもしれません。)


大きな組織であれば、ボスだけでなく、幹部も同様に実質的に部下に操られているかもしれませんし、幹部の部下もさらに部下から操られているかもしれません。そうやって考えていくと、ボスは形式的には全権力を掌握していて、実際にあちらこちらに口を挟んではいるものの、実質的には組織全体の壮大な操り人形となっているのかもしれません。

ただし、誰がどんな風にして操っているのか、傍目にはさっぱりわからないと思います。組織内部の人ですら、全体像を把握することも、個々の事案について正確な情報を収集することも難しいのではないかと思います。まるで深層学習を重ねたAIのような、摩訶不思議な仕組みの操り人形になっているのではないかと思います。上から見ても、中から見ても、下から見ても、横から見ても、組織内で何が起きているのか誰にもサッパリわからなくなってしまうのではないかと思います。

そのため、独裁色が強まれば強まるほど、あれやこれやと予想もしなかった事態が起きてしまうのではないかと思います。また緊急時に、状況を的確に把握したり、適切に対処したりすることも難しくなってしまうのではないかと思います。組織内が不透明だからこそ、功績はとりあえず強者に集まり、シワ寄せはとりあえず弱者に集まってしまうのではないかと思います(そしてブラック企業と呼ばれるようになってしまうのではないかと思います)。

それを避けるためには、上から下まで風通しが良くて事実を重視する組織を作らないといけないと思います。同時に、組織外とも風通しが良くて事実を重視する関係を作っていく必要があると思います。


これは巨大な行政組織でも同様だと思いますし、日本国全体でも同様だと思います。

近現代の日本では、緊急事態になればなるほど上意下達が望まれる傾向にあるように思います。ところが実際には、上意下達になればなるほど(すなわち独裁色が強まれば強まるほど)緊急事態への対応力がどんどん弱まっていくと思います。そのため、近現代日本は緊急事態になればなるほど制御不能な形で明後日な方向に進んでしまう社会ではないかと思います。

それを避けるためには、国内でも国外とも、風通しが良くて事実を重視する社会文化を作っていかないといけないと思います。