法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

COVID19 に対する文化の違い

日本の COVID19 の公式の感染者数は、他国と比べると少ないように思います。専門家による原因解説は、様々なメディアで取り上げられていることと思います。しかしメディアを見比べる余力のない私は、いつものことながら勝手な妄想を繰り広げています。

そして、結局のところ、文化の違いに行き着くのではないかと思っています。

日本では、(1)大声で会話する人は少なく(飛沫感染が少ない)、(2)握手やハグの習慣はなく(接触感染が少ない)、(3)お店で商品をあれこれ手にとって見比べる人も少なく(媒介物感染が少ない)、(4)電車などの密閉空間では沈黙している人が多い(人数の割にはエアロゾル感染が少ないかも)、ように思います。そのため、感染者のクラスターが発生しにくかったり、仮に発生しても感染率が低かったりするのではないかと思います。

また、好ましからざることを無かったことにする文化があるので、検査体制の整備には消極的で、検査対象を極力制限しようとしているようです(そのような趣旨の記事を時々見かけます)。ですから今後、感染の可能性が高い人が検査を受けやすくなると、公式の感染者数はグッと増えるのではないかと思っています。

以上の理由により、日本は COVID19 を抑え込んでいるのではなくて、感染者を公式に発見することができないでいるだけではないかと思っています。ここを読み誤ると、対策フェーズも読み誤ってしまうのではないかと危惧しています。

(私は、国内の検査体制を充実させて、疑わしい人をきちんと検査して、感染症例をきちんと把握して、今後の予防や治療に役立てるべきだと思っています)(PCR検査の精度はあまり高くないので、陰性だからと言って安心はできないようです)


また、COVID19 への態度にも文化の違いが表れているように思います。

「光と闇の戦い」という意識の強い文化圏では、人間対 COVID19 の戦いを「光と闇の戦い」と捉えて、力強く対決していこうとするのではないかと思います。(対決姿勢)

一方、「清濁併せ呑む」という意識の強い文化圏では、「まぁまぁ」とか言いながら、COVID19 とどうやって手を打つかを考えているかもしれません。(和睦指向)

仏教の「善悪不二(ぜんあく・ふに)」の観点に立つ人にとっては、COVID19 もウィルスも真如の現れですから、敵対したり懐柔したりすることもなく、ただ無為自然自然法爾に生きていくのではないかと思います。(自然体)

現代医学は欧米文化圏の影響が強いと思うので、国際機関は COVID19 に対して対決姿勢で臨むのではないかと思います。しかし、世界中を見渡すと様々な態度が取られていることと思います。


私は、この世は心の鏡だと思っているので、COVID19 も心の内の現れだと思っています。COVID19 に対してどのような感情を抱くかは一人一人の自由ですし、このような状況でどのように生きていくかも一人一人の自由だと思います。

いずれにしても私自身の中に『因』がある訳ですから、COVID19 を『縁』としてどのような『果』が生まれようとも、それは私自身の現れだと思っています。いまさら『果』の成り行きを心配しても仕方がありません。

それよりも、これを機会に私自身の内面を清めていくことが大切ではないかと思っています。

現代日本の一般的な考え方とは大きく異なっているかもしれませんが、そんな文化に属する人もいるということで…