法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

お蔭様の開運

子どもの頃から「開運」にはあまり興味が湧きませんでした。

なんとなく自己中心的な響きを感じていたからだと思います。

ところが最近、「開運」に興味を抱くようになりました。

私のような罪悪深重・煩悩熾盛の愚者が「四弘誓願」のように分不相応なことを目指そうと思ったら、自力だけではどう頑張っても見当はずれな方向に進んで迷子になることは必至です。そこでまずは一念発起して、神仏の御加護をいただけるよう「開運」に励むことは重要ではないかと思えてきたからです。

言い換えると、私は子どもの頃から自己中心的な発想しかできない人だったので、「開運」に対してネガティヴな印象を持っていたのではないかと思います。しかし「四弘誓願」が気になって仕方がない日々を過ごすうちに、「開運」に対するイメージがすっかり変わってしまったようです。最近では、「四弘誓願」のための「開運」はできないものか、「四弘誓願」にふさわしい「開運」方法はないものか、そんなことを考えるようになりました。

現時点では「七仏通誡偈」こそがふさわしい「開運」方法を示しているのではないかと思っています。意識は内外一体なので、意識の『外』に向けて「四弘誓願」を目指すときは、それと同時に意識の『内』に向けて「七仏通誡偈」を目指す必要があるのではないかと思うからです。「四弘誓願」と「七仏通誡偈」は表裏一体・内外一体の関係にあると思っているからです。(いつものように私の勝手解釈です)

私が求めている「開運」は「四弘誓願」が目的なので、現世利益につながるかどうかはわかりません。必要があれば手段としての福・禄・寿に恵まれることがあるかもしれませんが、逆に智慧や慈悲を育むために様々な逆境や順境を数多く体験することになるかもしれません。傍目には浮き沈みの激しい人生に見えるかもしれません。そんな風に考えると、ひょっとしたらすでに、「開運」はかなり進んでいるのかもしれません。蔭からいつもどうもありがとうございます。