法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

四弘誓願と七仏通誡偈と三法印と自未得度先度他と五戒

[1]四弘誓願

大乗仏教を志す人が最初に立てる四つの誓願です(括弧内は概要)。

衆生無辺誓願度(すべての生きとし生けるものを必ずや救う)
煩悩無尽誓願断(あらゆる煩悩を必ずや断つ)
法門無量誓願学(あらゆる仏法を必ずや学ぶ)
仏道無上誓願成(尊き御仏の境地に必ずや到達する)

先日「四弘誓願」の紹介記事を読んで以来、とても気になって何度も読み返しています。どうやらここからブレてはいけない、基本中の基本が書いてあるような気がするからです。これまでにも「四弘誓願」の紹介はあちこちで読んだことがありますが、いつも右から左に抜けてました。今回は記事が秀逸だったのか、はたまたタイミングがよかったのか、それ以来「四弘誓願」が気になっていけません。菩薩の初心の誓願です。


[2]七仏通誡偈

お釈迦様を含めて7名の御仏が共通して説いた教えだそうです(括弧内は概要)。

諸悪莫作(悪を為さず)
衆善奉行(善を行い)
自浄其意(心を浄める)
是諸仏教(これぞ御仏の教え)

前述の「四弘誓願」を何度も読み返しているうちに「七仏通誡偈」を思い出しました。意識の世界では、究極の『外』と究極の『内』はつながっていて、実際には『内』と『外』は一体ではないかと思います(内外一体)。そのような観点から見ると、「四弘誓願」は外に意識を向けたときの誓願であり、「七仏通誡偈」は内に意識を向けたときの教えである、と考えることができるように思います。このふたつは意識を向ける方向が異なるだけで、目指すところは同じではないかと思います。


[3]三法印

仏教の根本的な理念だそうです。

前述の「四弘誓願」と「七仏通誡偈」は『個』の視点から説かれたものであるのに対して、「三法印」は御仏(=ひとついのち)の視点から説かれたものではないかと思います。

四法印」で追加される「一切行苦」は再び『個』の視点から説かれたものではないかと思います。


[4]自未得度先度他

道元禅師『正法眼蔵』「発菩提心」巻には下記のように書かれているそうです。

菩提心をおこすといふは、おのれいまだわたらざるさきに一切衆生をわたさんと発願しいとなむなり。
「発心」とは、はじめて「自未得度先度他」の心をおこすなり、これを初発菩提心といふ。

私のような罪悪深重・煩悩熾盛の愚夫が仮に悟りを開けるとしても56億7000万年より遥か未来のことでしょうから、まずは人様が悟りを開くことを願い、そのお手伝いさせていただくことを願った方が、遥かに世の中のお役に立てることは疑いようがありません。そんな風に思ってよいのかどうかわかりませんが、この願いは本心に焼き付けておきたいと思います。

一人一人思い浮かべながら「自未得度先度他」と唱えてみる。悟りの境地から遥かに遠い今の私にできることは、ただ願うことのみ…


[5]五戒

仏教の在家信徒が守るべき五つの戒めだそうです(括弧内は概要)。

  • 不殺生戒(殺すなかれ)
  • 不偸盗戒(盗むなかれ)
  • 不邪婬戒(邪婬するなかれ)
  • 不妄語戒(嘘をつくなかれ)
  • 不飲酒戒(酒を飲むなかれ)

ティク・ナット・ハン師が、仏教の「五戒」を現代風にアレンジして「5つのマインドフルネス・トレーニング」として説いています。私にはとても分かりやすい説き方です。