法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

獅子の子落とし

子どもの頃に「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす」という話を聞きました。獅子は我が子に厳しい苦難を課して、自力で這い上がった子だけを真の我が子として育てるのだそうです。子ども向けのアニメか何かで見たように記憶しています。当時は子ども心に「なんだかかっこいいなぁ」と思いました。

先ほどネットで調べてみると、14世紀に書かれた軍記物語『太平記』の第16巻に同趣旨の記述があるそうです。元ネタはさらに遡ることができるかもしれませんが、少なくとも600〜700年前には、そのような俗信が流布していたようです。(ここでの獅子は想像上の動物の獅子だと思います、ライオンや鹿ではなくて…)

今日、何がきっかけだったのかは忘れましたが、何十年ぶりかにこの話を思い出しました。そして、子どもの頃とはまったく逆のネガティヴな感想を抱きました。このような育て方は難度があまりに高く、失敗する可能性の方が遥かに高いと思ったからです。

失敗した場合、(1)強い者に従順で弱い物を蹴落とす忖度人間に育つか(大人の機嫌を上手に取りながら生きることを学んだ場合)、(2)中身はないのに態度だけ偉そうな空っぽ人間に育つか(大人の態度を格好だけ真似れば親分になれることを学んだ場合)、するのではないかと思います。もしかしたら、その両方を併せ持ち、相手によって使い分ける人間に育つかもしれません。大人が厳しければ厳しいほど、このような傾向が強くなるのではないかと思います。

残念ながら、現代日本にはそう言う人たちであふれかえっているのではないかと思うことがあります。たからこそ、政治でも経済でも社会でも人々の理解を超えた不可思議な事件が後を絶たないのではないかと思います。その結果、現代日本はあらゆる分野で長期凋落傾向から抜け出せず、過去の遺産だけで生きていくしかない状態が続いているのではないかと思います。

もちろん、肉体的に子どもを谷底に突き落とす親はいないと思います。しかし精神的に子どもを谷底に落とすことは、日常茶飯事で行われているのではないかと思うことがしばしばあります。例えば、スーパーで大人が子どもに言うことを聞かせるための言動を見かけたときです。あの言動は、今の大人たちが幼かった頃に日常的に体験していたことを、自らの子どもに対してそのまま行っているのではないかと思います。そうやって親から子へ、子から孫へと世代を超えて受け継がれている言動ではないかと思います。それと同時に、幼い頃に受ける心の傷までも世代を超えて受け継がれてしまっているのではないかと思います。

そんな心の傷の連鎖が断ち切れるとよいなと思います。その心の傷が一人一人の人生の中で悪い形で現れて、より大きな苦しみを生み出すことを避けるためです。まさに『抜苦与楽(慈悲)』で「言うは易く行うは難し」の代表例かもしれませんが、そんなことを願う歳になってしまったようです。

それではよいお年をお迎えください。