法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

出口和明著「大地の母」

出口和明著「大地の母」を読みました。明治期に開教した新宗教「大本(おおもと)」の教祖二人の半生記です。二人の教祖の幼年期から大正7年(1918年)の開祖の死までの出来事がほぼ時系列で詳しく紹介されていました。

なお、小説という形態を取っているため、事実関係を十分には確定できなかった場合や、会話のように一言一句までは資料が残されていない場合には、著者による仮説や推測が書かれている場合があるものと思います。


以下、感想です。

開教期の大本は、教祖の教えに従って修養する団体というよりも、教祖に惹かれた人たちが集まって群雄割拠する団体だったのではないかという印象を持ちました。教祖の教えを読んで、自分の解釈こそが正真正銘の教祖の教えだと信じて盲信する人。教祖の教えを緻密に分析しようと努めながらも、自分なりの理解と推理こそが正しいと信じて猪突猛進する人。教祖の教えを尊重しながらも、自らの神懸かりの言葉こそが正しいと信じて自己主張する人。そんな多様な人たちを大きく包み込む二人の教祖。教祖の手による文書や言動を信奉するだけでなく、教祖と信徒が内面の奥深くでつながっていたからこその以心伝心で成り立っていた宗教団体だったのではないかと思いました。言葉だけでは伝わらないことを、寝食をともにする中で伝えていたのかもしれません。

そのため開教期の大本では、信徒を型枠にはめるようなことはせず、信徒一人一人が自由闊達に活動する機運を作り、活動の場を提供することに重点を置いていたのではないかと思いました。誰かが頭でひねり出した規範に従うのではなく、一人一人の内面から溢れ出す情熱に従って行動する。ただし、できるだけ邪神には従わず、正神から伝わってくる情熱に素直に従って行動するように努める。開教期の大本は、そんな人々を育む場だったのではないかと思いました。だからこそ、傑出した人物を多数輩出できたのではないかと思いました。

しかし、多様な情熱が熱く熱くたぎっていたが故に、二人の教祖も二代教主も亡くなられてからは、求心力よりも遠心力の方が強くなってしまったのではないかとも思いました。その結果、二人の教祖の影響は、教団の枠を越えて見えない形で広がっているのではないかと思います。

大正10年と昭和10年に起きた大本弾圧事件を経て、大本は世の中から消されたも同然の存在となってしまいました。しかし、それから長い年月を経た現代においても、二人の教祖の影響は様々な形で間接的に見出すことができるように思います。大本の二人の教祖が、大本に集まってきた人々のポテンシャルを最大限に引き出すことに途轍もなく長けていたからこそではないかと思います。