法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

罪悪深重・煩悩熾盛の大愚鈍としてこれからどう生きていくか

今日は調子がよかったので、境内がとても清々しい神社に行ってきました。健康状態が許せば年に2〜3回は訪れたいところですが、残念ながら現実には2〜3年に1回が精一杯です。

幼い頃、両親に連れられて神社に行くときは願い事をさせられていたように思います。しかし、ある年齢(十代のどこか)以上になってからは願い事をしなくなりました。神社に行くこともなくなりました。ところが年齢を重ねるうちに、たまに神社に参拝するようになりました。最初は世界平和を祈願していたのですが、いつしか何も祈願しなくなりました。ただ参拝するだけです。

やがて、お社よりも磐座やご神体山に参拝したいと思うようになりました。だいぶん前のこと、とあるご神体山に向かって、心の中で質問をしては答えをいただいていたことがありました。一番印象に残っているのは、私の病気は治るかと聞いたとき「完全に治る」と教えていただいたことです。当時の病状からするととても信じられず、2〜3度同じ質問をして、そのたびに同じ答えをいただきました。お蔭様で当時の状態からはとても信じられないくらい回復しています。しかしながら、発症前とはまだまだ比べ物にはなりません…。(病人の期待的妄想だったんじゃないかと言われたら、まったくその通りです…笑)

しかしながら、今日は境内でただただ佇んでおりました。そして私自身の内面を見つめておりました。お社に鏡が祀ってあるのをよく見かけます。と言うことは、神社は神様に参拝する場所であると同時に、自分自身を見つめる場所でもあるのかもしれません。そんな風に思ったものですから、今回は自分自身の肚の中を見つめました。

自分自身の内面を見ようとしても、普段なら都合の悪いことにフタをして、自分の都合の良い部分だけを見がちです。しかし今日は、いつもより都合の悪いことを見つめることができたように思います。とんでもないことがいっぱい見えましたが、それを素直に見ることができたのでよかったです。やはり私は罪悪深重・煩悩熾盛の大愚鈍であり、極悪人なのでした。

仕事もできない極悪人として、これからどう生きていくか…。それを考えるための材料をいただいたように思います。遥々出掛けてよかったと思いました。