法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

ダベンポート,カービー(共著) 「AI時代の勝者と敗者」

トーマス・H・ダベンポート,ジュリア・カービー(共著) 「AI時代の勝者と敗者」を読みました。ダベンポート氏はアナリティクス(データ分析)分野で有名な方だそうです。

情報技術の発展により、かつては人間にしかできなかった知的作業を、AI等を応用したスマート・マシンが代行する応用例が増えているそうです。そのため、このままでは人間の仕事(雇用)が大幅に減ってしまうと危惧する人たちがいる一方で、人間はより創造的な仕事に専念できるようになると肯定的に捉えている人たちもいるそうです。

著者らは後者の立場から、AI時代に「勝者」として生き残るために、下記のいずれかの方針で仕事の軸足を移すことを推奨しています。

  1. Step Up ... 機械よりも上位の仕事へ
  2. Step Aside ... 機械には向かない仕事へ
  3. Step In ... 機械とビジネスをつなぐ仕事へ
  4. Step Narrowly ... 機械が入り込めない領域へ
  5. Step Forward ... 新技術を創り出す仕事へ

この本では、上記5種類の移行方針が具体例とともに詳しく紹介されていました。また、移行のための手順や道筋も提案されてました。


以下、感想です。

この本の提案通りに仕事内容を変えて生き残れる人は果たしてどのくらいの割合で存在するのか、気になるところです。スマート・マシンの発展による社会変化の荒波を上手に乗りこなしていくためには、時代時代が要求する高い専門性を身に付けるだけでなく、そのときどきの状況にぴったりな幸運に恵まることも必要だと思うからです。長い人生を「勝者」として生き抜いていくことは、とても簡単なことではないように思いました。

一方で、スマート・マシンを継続的に発展させたい開発企業や利用企業の視点に立つと、応用分野の専門家に頼らなくても学習していけるスマート・マシンの登場が望まれるのではないかと思います。仮にそれが実現すると、スマート・マシンの応用例は爆発的に広がっていくでしょうから、「勝者」として生き抜いていくことはますます難しくなると思います。

その結果、「勝者」として生き残ることができるのはほんの一握りの人たちに限られてしまうのではないかと思います。ほとんどの人は「敗者」となり、時間とともにスキルを失って(= deskill されて)再挑戦する機会すら失い、各分野から専門家がどんどん減ってしまうのではないかと思います。そして、人間がスマート・マシンにはかなわない分野がどんどん増えていくのではないかと思います。

やがて、一握りの「勝者」だけがスマート・マシンを操る権利を独占し、あらゆる分野で君臨する時代がやって来るかもしれません。社会の仕組みもスマート・マシンの利用を前提とした、人間の理解を超えたものになってしまうかもしれません。その結果、「敗者」はすっかり deskill されて、正誤や善悪の判定すら自分たちだけではできなくなってしまうかもしれません。そして何もかもスマート・マシンに委ねるしかなくなってしまうかもしれません。

生き残ったはずの一握りの「勝者」ですら、スマート・マシンの力を借りなくては何もできなくなってしまうと思います。果たして一握りの「勝者」がスマート・マシンを操っているのか、はたまた一握りの「勝者」すらもスマート・マシンに操られているのか…。そんな根本的な疑問すら、誰も正確に判断できない未来がやって来るかもしれません。

(話は大きく飛びますが、仮に未来に戦争が起きるとしたら、SF映画と違って人間同士がスマート・マシンを操って(実際にはスマート・マシンに操られて?)闘うのではないかと思います)

そんな暗い未来を思い浮かべてしまいました。著者らの予測とは大きく異なる未来像だと思います。

スマート・マシンは過去のデータを元に未来を推測するツールだと思います。人間も過去の経験を元に未来を予測します。そのため、社会情勢や地球環境が日々大きく変化する激変の時代になると、スマート・マシンの推測能力も人間の予測能力も役に立たなくなるかもしれません。ひょっとしたら、それが「敗者」が復活する狼煙(のろし)となるかもしれません。その日のためにも、「敗者」が deskill されることのないよう日々腕を磨き続けることはとても重要なことだと思います。


本書の感想からは少し外れますが、、

上述のような暗い未来を避けるためには、世間の常識に縛られず、執着にもミームにも縛られず、天真爛漫で真に自由に生きることが大切ではないかと思います。スマート・マシンに予測できない自由な生き方。本心さんを大切にする生き方。それが本来の人間の姿ではないかと思います。

スマート・マシンの登場は、思考や感情の奴隷となって生きることを戒めてくれる天からの警告なのかもしれません。