法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

「やりたいこと」「やりたくないこと」と実際に「やること」「やらないこと」が真逆になってしまう

一昨日と昨日の投稿への補足です。

私が書いた「悪いこと」というのは、私自身にとって
「嫌なこと」「苦しいこと」「辛いこと」という意味です。
世間的・倫理的な善悪正邪ではありません。

たとえばジャンクフード。
たまに食べると懐かしいかもしれません。

しかし続けて食べると体が拒否するんです。
指先など痛くなったり、気分が悪くなったり、
体のあちこちの調子が悪くなったり。
体が一所懸命に拒否信号を伝えてくるんです。

あるいは食べ過ぎ。本当に苦しいんです。
座ってるだけでも苦しい。夜も眠れないくらい苦しい。
ものすごく気分が悪い。なんとか抜け出したい。
そうやって体が一所懸命に拒否信号を伝えてくるんです。

パン食もそうです。たまに食べる分には美味しいです。
しかし続けると、添加物が体にこたえるんです。
身体中がしんどくて、げっぷまで添加物まみれで…
とにかく体が一所懸命に拒否信号を伝えてくるんです。

こんな風に、私は食事に関しては
ストライク・ゾーンがかなり狭い人なのです。
しょっちゅう拒否信号が上がってきます。
(ちなみに玄米・味噌・醤油・塩の食生活が体に一番楽です)

その拒否信号に素直に従えるときと、
反対に体をいじめてしまうときがあるんですね。

どういうときに体をいじめてしまうかというと、
私自身に意識が向いているときなんです。たとえば、
何を食べて何を食べないかを気にしているとき、です。

自分自身に意識が向いていると、
「嫌だ」「苦しい」「辛い」「悲しい」
と思うことをひたすら続けてしまうのです。
(一種の自傷行為かもしれません。。)

ところが何かのきっかけで別のことに意識が向くと、
スッとやめてしまってるんですね。

だから食事の記録を取る前と取り始めてからでは
食生活がだいぶん違ってます。。

こんな風に、何に意識を向けるかで全然違ってくるのです。

これは逆に「やりたいこと」でも同様です。

「やりたい」という気持ちが強ければ強いほど、
そんなときに自分自身に意識を強く向けてしまうと、
できなくなるんです。なぜか固まってしまうのです…

不思議に思われるかもしれませんが、
自分自身に強く意識を向けると、
「やりたいこと」「やりたくないこと」と
実際に「やること」「やらないこと」が
真逆になってしまうんです。。

これは多分、なにかとんでもないトラウマ(心の傷)が
心の奥底に隠れているからではないかと思っています。
そのトラウマを見つけて、そのトラウマを眺めていると、
やがてそのトラウマは満足して消えていくと思うのです。
(これは私の経験則によるものです)

それを大きな目標にしたいなと思っています。
できるかどうかわからないくらいの目標の方が
私には取り組みがいがあるからです。

私が目の前のことを目標にするのが苦手なのは、
「やりたいこと」「やりたくないこと」と、
実際に「やること」「やらないこと」が
反対になりがちだからかもしれません。

だから敢えて遠くに目標を据えて、忙しくして
自分自身のことに意識を向ける暇を
与えないようにしているのかもしれません。

敢えて忙しくすることで、
かえって目の前のことをひとつひとつ
実行できるようにしているのかもしれません。

もしかしたら生きるための知恵として
身につけたやり方なのかもしれません。

かなり変な人ですね…(笑)