法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

備忘録:「令和」

Wiktionary によると、『』の意味は、(1) (神などの)お告げ、(2) 上位者による指示、(3) よい事、とのことです。見方によっては『縦』の関係を表す漢字とも言えると思います。

一方、『』の意味は、(1) やわらぐ、やわらげる、(2) なごむ、なごやかな、(3) まぜる、あえる、などとのことです。見方によっては『横』の関係を表す漢字とも言えると思います。

したがって、「令和」は縦の関係、横の関係を改めて意識せざるを得ない元号ではないかと思います。縦横の関係についての考え方は人それぞれだと思いますので、これからしばらく様々な議論が飛び交うことと思います。表面的にはやがて落ち着くかもしれませんが、水面下では議論が尽きることはないんじゃないかな…


出典は『万葉集』巻五の「梅花謌卅二首并序」とのことです。今から1300年くらい前に太宰府長官宅で開催された宴で、興に乗った参加者が梅の花をテーマに短歌を詠みあったそうです。その短歌32首を『万葉集』巻五に採録した際の序文だそうです。

下記資料は、その宴と短歌の概説です。

下記の資料では、序文の読み方と意味が紹介されていました。

下記の資料には、序文と短歌32首の現代語訳が書かれていました。

(はてさて歌番号815は偶然か必然か…)

時は天平二年正月の十三日(西暦730年2月中旬頃)。太宰府では梅が美しい季節だったのでしょうか…

ちなみに「梅花謌卅二首并序」の原文は漢字で120文字弱。ひょっとしたら日本国内限定で「蘭亭序」なみの有名な序文として書道展を賑わすかもしれませんね。特に「初春令月、氣淑風和」の部分は…(臨書じゃないけど)


宴を開いた大伴 旅人(おおとも の たびと)は当時60代後半、天皇の臣下の中では最高位に近い人だったそうです。また、『万葉集』の編者とも言われている大伴 家持(おおとも の やかもち)のお父さんでもあります。まだ少年だった大伴家持は、その宴に居合わせていたやもしれません。歌人として有名な筑前守・山上 憶良(やまのうえ の おくら)も出席していたそうです。

権力者が主催する宴で、酔うに酔えず、酔いが回ったまま短歌も披露せねばならず、「後悔先に立たず」だった方もいらっしゃるのではないかと思います。しかもその短歌が後に万葉集採録されて1000年以上に渡って様々な角度から批評され、さらには宴の1300年後に再び1億人以上の人から注目を集めることになろうとは、酔い人たちが夢にも思わなかったストーリー展開ではないかと思います。参加者のみなさんはどんな気持ちでこの状況を見ているのかしら…(もしも生きておられたらですが…)


最後に蛇足です…

ゼロサム(零和)の嵐に迷う時代から、雨が上がって「令和」の時代へ
(駄洒落ですが、五七五七七です)

桜散り余韻消えゆく平成の苦楽を糧に梅の時代へ
(バブルから貧困の時代へ、そして新たな時代へ)

ウメの時代(とき)、クリエイティヴな思いやり、自他一体の創造のとき
(これはなんとなく…)

酔ってないのに酔っ払いもびっくりなクォリティーですね…(すみません)


〔追記〕「初春令月 氣淑風和」と中国古典

  • 元号は「令和」(中略)は、『万葉集』第五巻「梅花歌」三十二首の序文中にある「初春令月 氣淑風和 梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香」を典拠とする。

  • 漢の張衡による「帰田賦」の「於是仲春令月、時和氣清」や、東晋の王義之の書で有名な「蘭亭序」にある「天朗氣清、惠風和暢」など、漢籍の表現を擬したような序文がなされている点に注目したい。

【引用元】新元号「令和」の典拠・万葉集の一節は「国書中の“漢文”」だった?考案者の知恵と勇気の結晶 (井戸恵午, 2019-04-01)


〔追記〕新元号「令和」を表す手話

【出典】「令和」の手話は花のつぼみが開くイメージ 手話の研究所が確定 (京都新聞, 2019-04-02)

新しい手話の動画サイトで動画が公開されています。