法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

使い捨てプラスチック容器 vs. レジ袋

今日はスーパーに行ってきました。スーパーではほとんどの商品は個別に包装されてバーコードが付いてます。そのお蔭で商品管理が楽になり、レジも楽になります。個別包装されて消費期限も記されているお蔭で、自宅での食品管理も楽になります。食べ終わったら包装を捨てるだけ〜♪。お惣菜ならプラスチック・ケースを捨てるだけ〜♪。お惣菜のお汁がこぼれるのが不安なときは、無料でナイロン袋を利用することができます。便利〜♪ 飲み物だって、ペットボトルを捨てるだけ〜♪空き缶を捨てるだけ〜♪

そう。現代のスーパーは、大量の使い捨て包装、使い捨て容器を前提として商品管理がなされています。そして私の暮らしも、それが前提となってしまってます。そうやって便利さを謳歌しています。

なのになのに、レジ袋だけは特別扱い。マイバッグが推奨されて、レジ袋だけが悪者にされています。日々の使い捨ての中でレジ袋が締める割合ってどのくらいなんだろう…。全体のほんの一握りを悪者にすることで、それ以外の使い捨て包装や使い捨て容器を使うことの後ろめたさを、麻痺させてしまうことが目的なのではないかしらん…。レジ袋は単なるスケープゴートにされているだけではないかしらん…。スーパーのコスト削減策に乗せられているだけではないかしらん…。そんな気がしていけません


実は私も、できることなら使い捨て包装、使い捨て容器は使わずに済ませたい人間の一人です。マイバッグはいつもカバンに入れてます。使い捨てプラスチック容器の利用頻度を減らすべく、最近はお惣菜を買う頻度を減らしてます。しかし、使い捨て包装の呪縛から逃れるのはなかなか難しいです…

今日は何となくご飯物が食べたくなったので稲荷寿司を買いました。たった3個の稲荷寿司のために、使い捨てプラスチック容器が使われていました。もう少し丈夫な容器であれば他の目的に使い回せたかもしれませんが…、やはり使い捨てにしてしまいました。

それで思ったのです。食品コーナーでこんなにも沢山の使い捨てプラスチック容器が使われているのに、なぜ「使い捨て容器はやめよう運動」が盛り上がらないんだろう…。逆に、なぜ「レジ袋削減」運動だけは盛り上がるんだろう…。プラスチック容器とレジ袋では、資源採掘から廃棄までの全行程の中で、どちらがよりエネルギーや資源を使うのだろう…。レジ袋削減運動って実は偽善じゃなかろうか…。削減しても困らないところをちょっと削減することで、残りすべての使い捨てを正当化しているだけなんじゃないかしらん…って。

そこで逆説的にこんな文章を書いてみました。もうちょっと文才があると、もうちょっとポエム的になって、もうちょっと印象的な文章にできてよかったのですが…


使い捨て包装、使い捨て容器などの中で一番使い回しがきくのは、(皮肉なことに)レジ袋ではないかと思います。ゴミ袋としてだけでなく、お裾分けの小分け袋として、整理用の袋としても活躍してくれます。持ちやすいし、そこそこ丈夫だし、気楽に使えるし。

しっかり作られているので意外と高コストで、小売店から見ると経費削減の効果が大きいのかもしれません。

平成19年(2007年)に映画『不都合な真実』が公開された頃から、マイバッグが流行り始めたように記憶しています。当時エコバッグとして売られていたバッグの中には、仮に寿命いっぱい使ったとしても、資源採掘から廃棄までのエネルギー消費や資源消費の総量が、毎回レジ袋を利用するよりも多いのではないかと思われるようなものも売られてました。

買い物袋をコストからプロフィットへ。お金を軸とした視点が今も残っていたりするのかな…