法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

縄張り意識

日本では、実際にやってる人よりも、やってる感を上手にアピールしてる人の方が、高く評価される傾向があるように思います。

むしろ、実際にやってる人は陰口を叩かれているかもしれません。曰く「自分だけ目立とうとして…」「自分だけいい子ちゃんになって…」。だから日本では実際にやってる人は生きていきにくい。。

それに対して、やってる感を上手にアピールする人は、そんな陰口を叩かれることはあまりないように思います。それどころか高く評価されたりする。曰く「頑張ってるね〜」「あの人にまかせておけば安心だ」。実態を知らない人ほど、そういう評価をしがちだと思います。いちいち実態を調べるのが面倒臭いので、そう言って取り繕っているだけかもしれませんが…

大きなことから小さなことまで、すべからくこのような傾向があるように思います。


このような傾向が現れる原因は、ひょっとしたら、日本人の『縄張り』意識が関係しているのかもしれません。

実際にやっている人(自ら動く人)は、知らず知らずのうちにいろんな人の『縄張り』に侵入してしまって、知らず知らずのうちに反感を買っているのかもしれません。

それに対して口先だけの人は、他人の『縄張り』に実際に侵入することはありません。口先介入するのは自分より立場が弱そうな人に対してだけです。

ひょっとしたらこの違いが大きいのかもしれません。

日本人は自分の『縄張り』を大切にする民族なのかもしれません。だから自分の『縄張り』を荒らす心配のない人を持ち上げるのかもしれません。自分の『縄張り』を荒らされないためならなんでもするのかもしれません。


おそらく多くの日本人は周囲から抑圧されて生きているんだと思います。

だからこそ自分の自由になる領域(=抑圧されない領域)である『縄張り』を大切にして、自分の存在意義のように感じているのだと思います。また、『縄張り』は見栄を張ったり体面を保ったりする大切な手段でもあるのだと思います。きっとお互いの『縄張り』には不可侵という暗黙の了解があるのだろうと思います。そんな大切な『縄張り』を土足で踏みにじられたり、バカにされたりしたと感じようものなら、怒り狂わざるを得ないのだと思います。そして相手を抑圧してかかろうとするのだと思います。

とっても大切なはずの『縄張り』は一人一人の心の中にあって傍からは見えないので、、空気の読めない私は人様の『縄張り』にしょっちゅう無断侵入しております…