法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

片付けはキャベツの葉っぱを一枚一枚むいていく作業に似ている

片付けをしながら10年くらい前のノートをチラチラと眺めてみました。自分の無意識に対して質問して、返ってきた非言語の答えを文章に変換してノートに書く練習をしていた頃のノートです。練習時は普段ならありえない猛烈な速度で文章を書き殴ってました。ところどころに、ハッとするようなことが書いてありました。私って10年前から成長がないんでしょうね…。様々なことに対して理解を深めようとしていた苦闘の跡も残ってました。今の私が作られていく過程が残されたノートでもあります。5冊あります。しかし手放す時が来たようです。次のステップでは違う形で学んでいくのだと思います。

私は病気の後遺症で記憶力の衰えぶりは尋常ではありませんので…、こうやって記録を捨てていくと、私の過去を思い出す手掛かりが少しずつなくなっていきます。実際のところ短期記憶は壊滅的なものの、ありがたいことに長期記憶は多少なりとも機能してますので、必要なことは必要なとき思い出せるだろうと思ってます。思い出せないものは不要な記憶なんだと思います。

片付けはキャベツの葉っぱを一枚一枚むいていく作業に似ているかもしれません。作業を始める前は、捨てることができるのは表面の2〜3枚だけではないかと思ってました。しかしいざ2〜3枚捨ててみると、あと2〜3枚なら捨てられるような気がしてきます。そうやって2〜3枚ずつ捨てていると…、気がついたら何十枚と捨ててました。捨てられるはずがないと思っていたものまで、捨ててました。はてさて、この先どこまで捨てられるのか…。ひょっとしたら、最後の最後にキャベツの芯だけになったときに思うかもしれません。「しまった!最初の2〜3枚で捨てるのやめときゃよかった。食べるとこが残ってない(爆)」

しかし、そうなったらそうなったでよいと思っています。キャベツを私一人で食べるより、世界中のみんなと、さらには無意識の世界のみんなと、分けあって一緒に食べた方が美味しいと思うからです。まんまるキャベツがまた欲しくなったら、そのときの自分にあわせて新たに育てればよいだけだと思います。きっと未来の私にぴったりのキャベツに育つと思います。