法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

ホワイト・ボックスとブラック・ボックス

「ホワイト・ボックス」「ブラック・ボックス」という言葉があります。

「ホワイト・ボックス」とは内部構造や動作原理がきちんと見えていることを例える言葉で、「ブラック・ボックス」とは内部を全く無視して外面的な機能や使い方だけを見ていることを例える言葉です。

私は自分の体の状態を理解するにあたって、極力「ホワイト・ボックス」として理解しようと思っています。例えば私は、体中の毛細血管に血栓のかけらが詰まっているため、内臓も脳も筋肉も含めて全身の能力が人様より随分と低い状態にあります。そのため何をするにも負荷を一定値以下に抑えたり、頻繁に休憩を取ったりする必要があります。また、脳の特定部位(おそらく左脳と右脳をつなぐ辺り)が壊死して、様々な機能を一旦は失ってしまいました。そこで、失った機能とほぼ同等のことができるような脳の使い方を見つけたり、身につけたりすべく、日々リハビリを続けています。大雑把に概要を書くとこのような感じになりますが、具体的な症状をお伝えするには、天候、体調、疲労度、そのほか様々な要因に応じて細かい場合分けが必要で、さらに2つの後遺症が複雑に組み合わさるため、その時々の症状の変化の幅はとても大きいです。

一方、ご自身の体を「ブラック・ボックス」として理解しようとする方々もいるようです。そのような方々は、病院に行って診察や検査を受けて、医者に病名を付けてもらって薬をもらうと「わかった!」と思えるようです。そのため例えば「あなたは○○という病気で、医学的には原因不明だけど□□という薬で症状が抑えられる」という対症療法で100%理解できたと思えるようです。

私からすると「ブラック・ボックス」的アプローチは体の状態を理解したとは言えないと思うのですが、逆に「ブラック・ボックス」的アプローチを好む方々から見ると私の「ホワイト・ボックス」的アプローチはとても胡散臭く聞こえるようです。

これは体だけでなく、心についても同様なことが言えるように思います。私は人間の心理を理解するためには極力「ホワイト・ボックス」として理解すべきだと思っています。一方で心理学関連の書籍を読むと人間の心理を「ブラック・ボックス」として捉えようとしているものが多いように感じています。私から見ると、果たして「ブラック・ボックス」的アプローチで人間の心理に本当の意味で理解できるのか、と疑問に思ってしまいます。逆に「ブラック・ボックス」的アプローチを好む方々から見ると、「ホワイト・ボックス」的アプローチは胡散臭く感じられるかもしれません。

プロジェクトについても同様のことが言えると思います。私はプロジェクト管理においても「ホワイト・ボックス」的アプローチが必要だと思っています。成功するにしろ失敗するにしろ、チームの状態や進め方がきちんと見えていることが一番大切だと思います。それがきちんと見えていれば、仮に結果的に失敗しても次回はより大きな目標を狙えるだけの知見がたまりうると思います。一方、「ブラック・ボックス」的アプローチではこじんまりとした目標しか狙うことができないばかりか、成功・失敗の原因が不明確なので功績は強い立場の人に集まりシワ寄せは弱い立場の人に集まりがちで、チームとしての進歩もまとまりも難しいと思います。しかし、「ブラック・ボックス」的アプローチを好む方々から見ると、全く異なる評価がなされることと思います。この2つの立場はあまりに大きく異なっているため、お互いの考え方を理解し合うことはとても難しいのではないかと思っています。

上述の例に限らず、あらゆることについて同様のことが言えるように思います。

日本ではあらゆる分野で「ブラック・ボックス」的アプローチが好まれる傾向にあるように思います。これは日本がハリボテ社会であることと関連があるのではないかと思っています。もうしばらく観察を続けたいと思います。