法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

360度の大変化

ところで貴殿は人が360度変わる姿をご覧になったのかもしれませんね。苦しみがきっかけとなって心が180度変わって言動もすっかり変わられたあと、その状態からさらに心が180度変わって、一見すると元に戻られたように見えたのではないかと思います。

しかしおそらく、その方の心の中は360度変わってしまわれたのだと思います。例えるなら螺旋階段をぐるりと1周分登られたような状態で、はたから見ると元に戻ったように見えたとしても、その方の心の中では螺旋階段を1階分登っておられるのではないかと思います。

ですから、仮に以前と同じように見えたとしても、どこかが違っておられたのではないかと思います。そしてご本人からすると心の中に大きな変化が起きていたのではないかと思います。

ときには、心が大きく変わっていく重要なきっかけとして神秘体験が位置付けられる場合があるかもしれません。しかしそれは、苦しみを通して心がより純粋な状態に変化していたからこそ、その神秘体験でガラッと変わられたのではないかと思います。ですからもしも苦しみのない状態で神秘体験を経験されたとしても、単なる白昼夢か勘違いだと思ってすぐに忘れてしまわれていたかもしれません。

心が大きく変化するために本質的に必要なのは、本当は「苦しみ」ではなくて峻厳な「非日常」ではないかと思います。峻厳な「非日常」の世界に放り込まれることで感受性が研ぎ澄まされて、ちょっとしたことで日頃の思い込みが外れやすくなっていたのではないかと思います。一般に「非日常」体験は社会的・経済的・肉体的に大きな痛みを伴うことが多いので「苦しみ」が注目されがちですが、本質的には強烈な「非日常」を体験することが重要なのではないかと私は思っています。初期の禅宗の道場は奇天烈な「非日常」の世界だったからこそ、優れた弟子が多数輩出されたのではないかとも思います。

神秘体験を受け入れることのできる人であれば、神秘体験自体が貴重な「非日常」体験となって、虚を衝かれて心がガラッと変わってしまわれることはありうると思います。19世紀まではそのような方々は多かったかもしれません。20世紀に科学技術万能主義が幅を利かして神秘体験が絶滅しかけたあと、21世紀に入って再び神秘体験を受け入れられる人たちが増えているように思います。現代は科学技術と不思議が共存できる時代かもしれません。いい時代だと思います。

(ある方のお話を伺って…)