法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

他人は自分の鏡

他人は自分の鏡だと思います。そして、私たちは他人の姿を通してしか自分の姿を見つめることができないのだと思います。日々の暮らしの中で他人の言動から受ける印象は、実は自分の心を映し出す鏡だと思います。ただし、ちょっと癖のある鏡だと思います。

例えば、自分の中の嫌いなところを相手の言動の中に感じ取ると、ふつふつと怒りの感情が湧いてくるように思います。ところが、その怒りの原因は自分自身ではなかなかわかりません。自分自身の嫌いなところを改めて見つめたくないため、怒りの原因を相手の言動の中のまったく別の部分と結びつけてしまう性癖を持っているためです。そしてまったくの見当違いの理由でもって、「あいつは○○しやがった(怒)」と怒りを認識するのだと思います。

しかしまったくの見当違いの理由である「○○」をいくら突き詰めてもなかなか怒りはおさまりません。仮に一旦おさまったとしても、何度も何度も繰り返し怒りの感情が湧き上がってきます。怒りの本当の原因を見つけ出さない限り、その怒りの感情を消すことはできないと思います。

ところがいざ怒りの本当の原因を見つけることができると、実はなんのことはない些細なことだったりします。はるか昔の心の傷や勘違いが原因で、自分の中のとある部分が嫌いになってただけだったりします。そのため自分の中の嫌いな部分を冷静に見つめるだけで、嫌いという気持ちがスーッと消えていきます。そして同時に相手に対する怒りも消えていきます。

そのような経験を繰り返すうちに、「感情」は自分自身を見つめるためのセンサーだと思うようになりました。

仏教の六波羅蜜の修行徳目のひとつに「忍辱(にんにく)」=「耐え忍ぶ」が挙げられています。耐え忍ぶことが重要な理由は、「センサーからの信号に踊らされるな」「自分の心中の『コップの中の嵐』に相手を巻き込むな」という戒めからではないかと思います。


以下は念のための補足です。

六波羅蜜の「忍辱」は、貪・瞋・癡の三毒の感情を耐え忍ぶという意味だと思います。

不正を見逃したり泣き寝入りしたりすることを意味している訳ではないと思います。

問題が発生したとき、お互いに三毒から離れた状態で冷静に話し合うことができれば、議論が創造的・建設的になり、物事がスムーズに運ぶようになると思います。そして、言いにくいことを適切な表現で伝え合うことができるようになって、誤解がすぐに解けたり、問題が解決しやすくなったりすると思います。

交渉テクニックの中には、相手をわざと感情的にさせて冷静さを失わせることで交渉を思い通りの方向に進めやすくするというのがあると思います。そのような小手先のテクニックに惑わされることのないよう、どんなときでも三毒から離れて冷静に対処できる能力はとても重要だと思います。