法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

甲田純生(著)「1日で学び直す哲学 常識を打ち破る思考力をつける」

甲田純生(著)「1日で学び直す哲学 常識を打ち破る思考力をつける」を読みました。

西洋哲学を代表する8名の哲学者の紹介を中心に、西洋哲学の流れをわかりやすく伝えてくれる本です。この本の主人公である8名の哲学者は、古代ギリシャピタゴラスソクラテスプラトンアリストテレス、近代フランスのデカルト、近現代ドイツのカント、ヘーゲルハイデッガーです。

この本を読んで、西洋哲学では「言語による思考」で扱える範囲のみを対象として世界観・人間観・宇宙観を構築しようとしているんだなと思いました。その「集中と選択」戦略により一点突破して、「言語による思考」が得意とする分野においては、西洋哲学に基礎を置く西洋文明は世界中で華々しい成果をあげているように見えます。しかしその戦略には死角があるのではないか、という疑問を持ちました。

確かに「言語による思考」は世界を観察・分析する際には有用な道具だと思います。ところが道具にすぎないはずの「言語による思考」が特別視・神聖視されてしまった結果、道具が力を持ちすぎて「言語による思考」=「私自身」とまで考えられるようになり、デカルト心身二元論に代表されるように世界観までも規定してしまっているのではないかという感想を持ちました。そして時代とともに思考対象を変えながらも、この傾向は古代ギリシャ以来、中世キリスト教を経て、現代にまで続いているのではないかと思いました。

「言語による思考」は、人間の様々な精神活動の中のごく一部だと思います。しかも人間の精神活動の中でも比較的浅いところで行われる活動だと思います。人間の精神活動を深く深く潜っていくと、顕在意識では捉えられない意識活動、深い深い変性意識にならないと捉えられない意識活動が数多あると思います。そういった奥深くにある精神活動を適切に併用することで、「言語による思考」だけでは捉えられない深遠な世界観を得ることができるのではないかと思います。

世界を観察・分析するための道具には「言語による思考」を含めて様々な種類が存在し、それらの道具にはそれぞれ得手不得手があると思います。様々な道具を上手に使いこなすことで、より豊かでより奥深い世界観・人間観・宇宙観を作っていけるのではないかと思いました。それができると素晴らしいなと思いました。


追記。私は小学校高学年の頃に「言語による思考」に限界を感じて「言語を用いない思考」に切り替えました。十余年前からは「顕在意識によらない思考」を取り入れてます。また、私は人間の本体は意識の深奥にあると思っています。顕在意識も言語も思考も人間の本体ではなく、人間の本体から見るとこの世を生きるための道具のひとつにすぎないと思っています。そのためこのような感想を持つのかもしれません。ちょっと変かもしれませんね(笑)