法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

宮田律(著)「ナビラとマララ…『対テロ戦争』に巻き込まれた二人の少女」

宮田律(著)「ナビラとマララ…『対テロ戦争』に巻き込まれた二人の少女」を読みました。パキスタン西北部で生まれ育ち、過酷な体験に屈することなく果敢に生きる二人の少女、ナビラ・レフマンさんとマララ・ユスフザイさんの生き方を紹介する本です。出版社によると小学校高学年以上が対象とのことですが、大人でも十分に読み応えがあります。著者は現代イスラム研究センター理事長の宮田律(みやた・おさむ)さんです。

パキスタン西北部に住むナビラ・レフマン(Nabila Rehman)さんは、8歳のときに米軍ドローンからミサイル攻撃を受け、目の前で大好きなお祖母さんが亡くなり、ナビラをはじめ兄弟姉妹9人も負傷しました。

それは2012年10月24日、お天気の良い日の午後のことだったそうです。お祖母さん、お兄さん、ナビラさんが自宅前で農作業をしていたところ、米軍のミスによりテロリストと誤認されて、米軍のドローンからミサイル攻撃を受けました。お祖母さんの体は消え、ナビラさんは右手に大怪我をしました。夢中で逃げ出すと、背後で再び爆発音が響きました。ミサイル攻撃により、ナビラさんをはじめ兄弟姉妹9人は負傷したそうです。お父さんは子供たちの治療費を工面するため親戚から借金を重ね、土地の一部を手放さねばならなかったそうです。このように深い悲しみと苦しみを受けながらも、今もって米国からは謝罪の言葉はないそうです。

翌年2013年10月、お父さん、お兄さん、ナビラさんの3人は米国を訪問し、米国議会の公聴会で米軍のドローンによる被害を証言したそうです。しかしながら、その公聴会でナビラさんたちの声に耳を傾けたのは、下院議員435人中のわずか5人しかいなかったそうです。米国議会の誤爆に対する関心は非常に低いものでした。

翌々年の2014年、今度はパキスタン軍による「パキスタン・タリバン運動」掃討作戦の影響でナビラさん一家は国内避難民となりました。大家族での難民生活は相当苦しかったのではないかと思います。故郷を離れたナビラさんたち兄弟姉妹は教育を受ける機会を失いました。

ミサイル攻撃から3年後の2015年11月16日、東京でシンポジウム「米国のドローン攻撃とパキスタンの部族地域の教育改善を考える」が開催されて、お父さんとナビラさんが講演しました。その翌年の2016年に「ナビラ募金」が立ち上がり、ナビラさんと兄弟姉妹はパキスタンペシャワールの学校に通えるようになりました。シンポジウムとナビラ募金は現代イスラム研究センターのご尽力により実現したそうです。

同じくパキスタンで生まれ育ったマララ・ユスフザイ(Malala Yousafzai)さんは、11歳だった2009年にイギリスBBCのブログに「パキスタン女子学生の日記」を投稿しました。そして同じ年にマララさんの生き方を記録したドキュメンタリー映画が作られました。2012年にはパキスタン政府から「国民平和賞」が贈られ、その賞の名前が「国民マララ平和賞」に変更されました。このように目立つ存在だったからでしょうか、2012年10月9日、15歳だったマララさんはスクールバスで帰宅途中、武装勢力パキスタン・タリバン運動」により銃撃され重傷を負いました。

一命をとりとめたマララさんは銃撃後も暴力に屈することなく活動を続けています。銃撃の翌年2013年にはオランダの児童権利擁護団体から「国際子ども平和賞」を贈られ、翌々年の2014年にはノーベル平和賞が贈られました。銃撃後、マララさんはイギリスの病院で治療を受け、銃撃の翌年2013年からはイギリスの学校に通っているそうです。そして2013年に就学機会を奪われた女性の教育を支援する「マララ基金」を立ち上げました。

このように、パキスタンで生まれ育ったナビラ・レフマンさんとマララ・ユスフザイさんは、二人とも『対テロ戦争』や『テロ』に巻き込まれ、同じ2012年10月に攻撃を受けました。しかし西側諸国の関心はマララ・ユスフザイさんにのみ向けられ、ナビラ・レフマンさんに対する関心は低いと言わざるを得ません。この違いは果たしてどこから来るものなのでしょうか?

この二人に限らず、『対テロ戦争』や『テロ』に巻き込まれた子どもたちはとてもたくさんいると思います。イギリスの「調査報道局(BIJ)」によると、2004年〜2015年にパキスタンでは米国 CIA によるドローン攻撃が421回行われ、テロリストではない一般市民 423人〜965人、子ども 172人〜207人が犠牲になったそうです。それ以外にも、『対テロ戦争』や『テロ』で死傷した人たち、財産を失った人たち、戦争・紛争で故郷を離れざるを得なかった人たちはたくさんいることと思います。

暴力のない世界、争いが話し合いで解決できる世界を実現したいと思いました。そして同時に、地域、民族、宗教、信条、人種などによって命の重さが差別されることのない世界を実現したいと思いました。


下記は2015年11月にナビラさんが訪日した際の様子を伝える映像です。