法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

岩村暢子(著)「日本人には二種類いる: 1960年の断層」

岩村暢子(著)「日本人には二種類いる: 1960年の断層」を読みました。1950年代以前に生まれた世代と、1960年以降に生まれた世代の間には、『断層』とも形容できる大きな違いが見られるそうです。その違いについて様々な視点から解説されていました。

大きな違いが生じた原因のひとつとして、1960年生まれの赤ちゃんたちの親世代にあたる1930年代生まれの人たちの戦中・戦後体験が考えられるそうです。1930年代生まれの人たちは、子供の頃に軍国教育を受け、空襲や疎開などを体験し、敗戦と同時に教科書に墨を塗って民主主義教育が始まり、占領下の日本、独立後の日本を体験しました。食料も物資も不足していた時代も、食料も物資もあふれ始めた時代も体験しました。このように日本中が地響きを立てながら怒涛の勢いで変化し続ける中で育った人たちは、それ以前の世代の人たちとは感受性や考え方が異なっていたとしても不思議ありません。そのためでしょうか、この世代の人たちは、出産・育児においても前世代の人たちとは大きく異なった感受性と考え方で取り組んだそうです。

そのような時代背景の中で、1960年生まれをターゲットとした社会的な変化が次々と発生していったそうです。その結果、1960年より前に生まれた世代と、1960年以降に生まれた世代では、生まれてこのかた体験したことが大きく異なっているそうです。そのため、1960年生まれを境目として、日本人を大きく二種類に分類できるそうです。(具体的な違いについてはこの本をお読みください。)

なぜ1960年生まれがターゲットになったのか、たまたま時代の機が熟したからなのか、はたまた徳仁親王が1960年生まれなので世間の注目を集めやすい世代だったからなのか、その理由ははっきりとはわからないようです。いずれにしろ、1960年生まれの親世代である1930年代生まれの人たちは次々に起きる変化に巧みに乗っていくことができたため、1960年生まれをターゲットにしやすかったという側面はあるようです。

とても興味深く読みました。


以下、本を読んでの感想というよりも、この本を読んでの連想ゲーム的な想像です。

20世紀の戦前・戦中・戦後の体験は、日本人の心に大きな傷を残し、日本人の意識を大きく変えたのではないかと思います。心の傷や意識の変化の内容は、世代により、立場により、地域により、様々だったことと思います。しかしながら大きな傾向としては、忌まわしい記憶に繋がる軍国主義時代の慣習を捨て去り、戦争のない新しい社会を求めていたのではないかと思います。そして結果的に、繁栄を謳歌する米国由来の文化や慣習に惹かれた人が多かったのではないかと思います。ただその際に、捨て去るべき日本の慣習と残すべき日本の慣習の判断には、世代差が大きかったのではないかと思います。特に子供の頃に軍国教育を受けた世代以降は、軍国主義時代にのみ導入された特殊な慣習と、それ以前から続く日本の伝統的な慣習の区別を十分につけることができず、親世代や祖父母世代が伝える慣習をすべて否定したい気持ちが強かったのではないかと思います。それが戦後の日本文化の大断絶につながったのかもしれません。

親世代や祖父母世代に伝わる伝統的慣習を否定したい気持ちの強い人たちは、その代替の情報源として書籍・雑誌・ラジオ・テレビなどに頼ったのではないかと思います。そして結果的に、米国由来の知識や慣習を積極的に取り入れていったのではないかと思います。出産が自宅から産院になったり、育児書が売れたりしたのは、そのような流れの中で起きたのではないかと思います。

また、親世代や祖父母世代に伝わる伝統的慣習を否定したい気持ちの強い世代の人たちは、故郷を離れて都会で就職し、そのまま結婚して核家族を形成する人が多かったのではないかと思います。しかしながら、本心では心細かったのではないかと思います(都会に集団就職した人たちに心の安らぎの場を提供することが、戦後の宗教団体興隆の原動力のひとつだったと何かで読んだように記憶しています)。故郷から切り離された寂しさもあって、人々の意識の中心が家庭や子供に向かったのではないかと思います。その結果、心の埋め合わせを耐久消費財や子育てに求め、やがて住環境や不動産にも求め、前世代とは生活様式が大きく変わっていったのではないかと思います。自分たちが望む「あるべき暮らし」を手に入れるために我武者羅(ガムシャラ)に働いて、それが高度経済成長の原動力のひとつになったのではないかと思います。

このように「あるべき暮らし」の姿を子育てにも向けた結果、過保護、過干渉、さらには子供のペット化へと進んでいったのではないかと思います。そうやって育てられた子供たちの意識は必然的に内向きになっていったのではないかと思います。子供達には親たちの愛情が押し付けに感じられて、親も世間も煩わしく感じた人は多かったのではないかと思います。しかし親たちとの適切な距離感やコミュニケーション方法が見出せず、反抗することで気持ちを示したり、時には暴力を振るうことで気持ちを示したりしていたのではないかと思います。それとは逆に、表面的には親たちに従順に振る舞いながらも内心では反発して、親たちとは精神的に距離を置く人たちも多くいたのではないかと思います。このように、子育てに対する意識の変化が、親子関係をすっかり変えてしまったのではないかと思います。

20世紀の戦前・戦中・戦後の体験を通して心に大きな傷を負ってしまった日本人は、知らず知らずのうちに自らが抱える心の大きな傷を子世代、孫世代に伝えてしまっているのではないかと思います。そうやって代々伝えられてきた心の大きな傷の現れ方が、世代により、立場により、地域により、大きく異なっていることから、様々な現象が起きているのではないかと思います。その結果として、この本が紹介する1960年生まれの断層が生じたのではないかと思いますし、現代の日本の状況にも繋がっていると思います。

このように考えると、世代から世代へと知らず知らずのうちに伝えられている心の大きな傷を、一人一人が丁寧に癒していくことはとても大切なことはないかと思います。そして、心の苦しみに惑わされることなく、自らの本心と語り合う能力を取り戻すことも、とても大切ではないかと思います。

以上、現時点ではまったく裏取りできておらず、まったくの想像、まったくの空想、まったくの妄想ではありますが、この本を読んでこのようなことを思いました。