法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

寺山修司(著)「群れるな―寺山修司 強く生きぬく言葉」

寺山修司(著)「群れるな―寺山修司 強く生きぬく言葉」を読みました。寺山修司さんの数々の著作からの抜き書きを「自分」「生きる」「夢」「愛」「しあわせ」「言葉」「創造」「正義」「死」「あした」の10章に分類してまとめられた本です。

寺山修司さんは昭和10年(1935年)に生まれて昭和58年(1983年)に47歳で亡くなられました。戦争、敗戦、復興、高度経済成長の真っ只中を駆け抜けて、言葉と演劇の世界で注目を集めた方です。私は名前しか存じ上げなかったので、どんな方だろうという興味からこの本を読みました。

この本の中で印象に残ったのは、まずは「話しことば」(p.107)という節です。日本では「書き言葉」と「話し言葉」が大きく異なるため、「書き言葉」に慣れている人でないと言論に参加しづらい状況にあるとのことでした。「書き言葉」に慣れてない人は、発言することが難しいだけでなく、読解すらも困難を感じているかもしれません。寺山修司さんが生きた時代に限らず、ブログやSNSで誰でも簡単に発信できるようになった今日でさえも、同じような状況ではないかと思います。そこで、「話し言葉」を復権させる必要があるのではないか、というのが寺山修司さんの主張でした。

例えば私がこの文章を書くとき、「話し言葉」ではなく「書き言葉」で書いています。私のように「書き言葉」に慣れている人からすると、「話し言葉」で書くよりも「書き言葉」で書いた方が楽です。一方、「話し言葉」に慣れている人からすると、「書き言葉」で書くよりも「話し言葉」で書いた方がずっと楽なのだろうと思います。一方、読むときも同様に「話し言葉」の方が読みやすく感じる方はたくさんいらっしゃることと思います。このように使い慣れている言葉の違いが、異なるコミュニティに属する人どうしの意思疎通を難しくしている理由のひとつかもしれないと思いました。芸人さんと呼ばれる人たちは「話し言葉」を操るプロフェッショナルだと思います。彼らの言葉遣いを見習うと、意思疎通の壁を低くすることができるかもしれないと思いました。

「活字離れ」という言葉がありますが、もしかしたら本当は「書き言葉」離れなのかもしれません。

もうひとつ印象に残ったのは、「人間が人間を救済できるなんて思いあがり」(p.179)です。これはまさにその通りだと思いました。

青森県三沢市に「三沢市寺山修司記念館」があるそうです。平成9年(1997年)開館とのことです