法楽日記

デジタル散策記&マインド探訪記

原田マハ,高橋瑞木(共著)「すべてのドアは、入り口である。現代アートに親しむための6つのアクセス」

現代アートをこよなく愛する小説家・原田マハさんと学芸員・高橋瑞木さんによる対談本「すべてのドアは、入り口である。現代アートに親しむための6つのアクセス」を読みました。

「アート」という言葉は、人によって、文脈によって、文化によって、TPO によって、様々な意味合いを持つ言葉のように感じています。ところが「アート」という言葉を発する人にとってみれば、その意味するところは自明なことのようです。そのため、果たしてそれぞれの場面でどのような意味に受け取れば良いのか、いつもわからなくて困っています(笑)。

そこで辞書ではどのように説明されているのか調べてみました。

Oxford Dictionary of English」によると『art』とは「The expression or application of human creative skill and imagination, typically in a visual form such as painting or sculpture, producing works to be appreciated primarily for their beauty or emotional power.」とのことです。

この説明文は、これまでに見た中でも群を抜いてわかりやすいように思いました。すなわち、『art』のキモは「beauty or emotional power」にあるのだろうと思います。審美眼や感受性は人によって異なりますので、『art』であるか否かの境界線も人によって違っていても不思議ないように思えてきました。

次に、「Wikipedia」によると『芸術』とは「表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。文芸(言語芸術)、美術(造形芸術)、音楽(音響芸術)、演劇・映画(総合芸術)などを指す。藝術の略式表記。」とのことです。

この説明文は、現代アーティストの姿勢を理解する上でとてもわかりやすいように思いました。すなわち、芸術のキモは「精神的・感覚的な変動」にあるので、鑑賞者の理解の範囲に収まっているかどうかなんてことは、芸術そのものにとってはどうでも良いことなのかもしれません。

一方、ズブの素人である私の現在の仮説では、アートとは「時代や地域や歴史や思想を借景として、持てる技巧を駆使して、内なる思いを提示したもの。表現したい内なる思いは、時代により、文化により、人により、大きく異なる(例えば刺激が強く孤立しがちな現代社会では、斬新性、思索性、課題性、関係性などが重視されるように思う)。作品は鑑賞者の審美眼や感受性との共同作業でもある。」です。ちょっと堅いかなぁと思うと同時に、かなり頓珍漢かもしれないなぁとも思います(笑)。

そんな悩みを抱えた中で、この本を読みました。「現代アート」とは何か?そんなことを頭で考えるヒマがあったら、現代アートの作品展にできるだけ足を運んで、自らの体験を通して感受性を磨いていった方がよっぽど楽しいようです。